さる程に、寄手長崎の大夫のすけを初めとして、二万余騎一手になりて押し寄せたり。「今日の討手は如何なる者ぞ」「秀衡が家の子、長崎太郎大夫」と申す。せめて泰衡、西木戸などにても有らばこそ最期の軍をも為め、東の方の奴原が郎等に向ひて、弓を引き矢を放さん事あるべからずとて、「自害せん」と宣ひけり。此処に北の方の乳母親に十郎権頭、喜三太二人は家の上に上りて、遣戸格子を小楯にして散々に射る。大手には武蔵坊、片岡、鈴木兄弟、鷲尾、増尾、伊勢の三郎、備前の平四郎、以上人々八騎なり。常陸坊を初めとして残り十一人の者共、今朝より近きあたりの山寺を拝みに出でけるが、其の儘帰らずして失せにけり。言ふばかり無き事共なり。弁慶其の日の装束には黒革威の鎧の裾金物平く打ちたるに、黄なる蝶を二つ三つ打ちたりけるを著て、大薙刀の真中握り、打板の上に立ちけり。「囃せや殿原達、東の方の奴原に物見せん。若かりし時は叡山にて由ある方には、詩歌管絃の方にも許され、武勇の道には悪僧の名を取りき。一手舞うて東の方の賎しき奴原に見せん」とて、鈴木兄弟に囃させて、
嬉しや滝の水、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずと二人、東の奴原が鎧冑を首諸共に衣河に斬り付け流しつるかな
とぞ舞ふたりける。寄手是を聞きて、「判官殿の御内の人々程剛なる事はなし。寄手三万騎に、城の内は僅十騎ばかりにて、何程の立合せんとて舞舞ふらん」とぞ申しける。寄手の申しけるは、「如何に思し召し候ふとも、三万余騎ぞかし。舞も置き給へ」と申せば、「三万も三万によるべし。十騎も十騎によるぞ。汝等が軍せんと企つる様の可笑しければ笑ふぞ。叡山、春日山の麓にて、五月会に競馬をするに、少しも違はず。可笑しや鈴木、東の方の奴原に手並の程を見せてくれうぞ」とて、打物抜きて鈴木兄弟、弁慶轡を並べて、錏を傾ぶけて、太刀を兜の真向に当てて、どつと喚きて駆けたれば、秋風に木の葉を散らすに異ならず。寄手の者共元の陣へぞ引き退く。「口には似ざる物や。勢にこそよれ。不覚人共かな、返せや返せや」と喚きけれども、返し合はする者もなし。斯かりける所に鈴木の三郎、照井の太郎と組まんと、「和君は誰そ」「御内の侍に照井の太郎高治」「さて和君が主こそ鎌倉殿の郎等よ。和君が主の祖父清衡後三年の戦の時、郎等たりけるとこそ聞け、其の子に武衡、其の子に秀衡、其の子に泰衡、然れば我等が殿には五代の相伝の郎等ぞかし。重家は鎌倉殿には重代の侍なり。然れば重家が為には合はぬ敵なり。然れども弓矢取る身は逢ふを敵、面白し、泰衡が内に恥ある者とこそ聞け。それが恥ある武士に後ろ見する事やある。穢しや、止まれ止まれ」と言はれて返し合はせ、右の肩切られて、引きて退く。鈴木既に弓手に二騎、右手に三騎切り伏せ、七八騎に手負ほせて、我が身も痛手負ひ、「亀井の六郎犬死すな。重家は今は斯うぞ」と是を最期の言葉にて、腹掻き切つて伏しにけり。「紀伊国鈴木を出でし日より、命をば君に奉る。今思はず一所にて死し候はんこそ嬉しく候へ。死出の山にては必ず待ち給へ」とて、鎧の草摺かなぐり捨てて、「音にも聞くらん、目にも見よ、鈴木の三郎が弟に亀井の六郎生年廿三、弓矢の手並日頃人に知られたれども、東の方の奴原は未だ知らじ。初めて物見せん」と言ひも果てず、大勢の中へ割つて入り、弓手あひ付け、右手に攻め付け、切りけるに、面を向ふる者ぞ無き。敵三騎打ち取り、六騎に手を負せて、我が身も大事の傷数多負ひければ、鎧の上帯押しくつろげ、腹掻き切つて、兄の伏したる所に同じ枕に伏しにけり。さても武蔵は、彼に打ち合ひ、是に打ち合する程に、喉笛打ち裂かれ、血出づる事は限りなし。世の常の人などは、血酔などするぞかし。弁慶は血の出づればいとど血そばへして、人をも人とも思はず、前へ流るる血は鎧の働くに従ひて、朱血になりて流れける程に、敵申しけるは、「此処なる法師、余りのもの狂はしさに前にも母衣かけたるぞ」と申しけり。「あれ程のふて者に寄合ふべからず」とて、手綱を控へて寄せず。弁慶度々の戦に慣れたる事なれば、倒るる様にては、起上がり起上がり、河原を走り歩くに、面を向ふる人ぞ無き。さる程に増尾の十郎も討死す。備前の平四郎も敵数多討ち取り、我が身も傷数多負ひければ、自害して失せぬ。片岡と鷲尾一つになりて軍しけるが、鷲尾は敵五騎討ち取りて死にぬ。片岡一方隙きければ、武蔵坊伊勢の三郎と一所にかかる。伊勢の三郎敵六騎討ち取り、三騎に手負せて、思ふ様に軍して深手負ひければ、暇乞して、「死出の山にて待つぞ」とて自害してんげり。弁慶敵追ひ払うて、御前に参りて、「弁慶こそ参りて候へ」と申しければ、君は法華経の八の巻を遊ばして御座しましけるが、「如何に」と宣へば、「軍は限になりて候ふ。備前、鷲尾、増尾、鈴木兄弟、伊勢の三郎、各々軍思ひの儘に仕り、討死仕りて候ふ。今は弁慶と片岡ばかりになりて候ふ。限にて候ふ程に、君の御目に今一度かかり候はんずる為に参りて候ふ。君御先立ち候はば、死出の山にて御待ち候へ。弁慶先立ち参らせ候はば、三途の川にて待ち参らせん」と申せば判官、「今一入名残の惜しきぞよ。死なば一所とこそ契りしに、我も諸共に打ち出でんとすれば、不足なる敵なり。弁慶を内に止めんとすれば、味方の各々討死する。自害の所へ雑人を入れたらば、弓矢の疵なるべし。今は力及ばず、仮令我先立ちたりとも、死出の山にて待つべし。先立ちたらば実に三途の河にて待ち候へ。御経もいま少しなり。読み果つる程は、死したりとも、我を守護せよ」と仰せられければ、「さん候」と申して、御簾を引き上げ、君をつくづくと見参らせて、御名残惜しげに涙に咽びけるが、敵の近づく声を聞き、御暇申し立ち出づるとて、又立ち返り、かくぞ申し上げける。
六道の道の衢に待てよ君後れ先立つ習ひ有りとも
かく忙はしき中にも、未来をかけて申しければ、御返事に、
後の世も又後の世も廻り会へ染む紫の雲の上まで
と仰せられければ、声を立ててぞ泣きにける。さて片岡と後合に差し合はせ、一ちやう町を二手に分けて駆けたりければ、二人に駆け立てられて、寄手の兵共むらめかして引き退く。片岡七騎が中に走り入りて戦ふ程に、肩も腕もこらへずして、疵多く負ひければ、叶はじとや思ひけん、腹掻き切り亡せにけり。弁慶今は一人なり。長刀の柄一尺踏折りてがはと捨て、「あはれ中々良き物や、えせ片人の足手にまぎれて、悪かりつるに」とて、きつと踏張り立つて、敵入れば寄せ合はせて、はたとは斬り、ふつとは斬り、馬の太腹前膝はらりはらりと切り付け、馬より落つる所は長刀の先にて首を刎ね落し、脊にて叩きおろしなどして狂ふ程に、一人に斬り立てられて、面を向くる者ぞ無き。鎧に矢の立つ事数を知らず。折り掛け折り掛けしたりければ、簔を逆様に著たる様にぞ有りける。黒羽、白羽、染羽、色々の矢共風に吹かれて見えければ、武蔵野の尾花の秋風に吹きなびかるるに異ならず。八方を走り廻りて狂ひけるを、寄手の者共申しけるは、「敵も味方も討死すれども、弁慶ばかり如何に狂へ共、死なぬは不思議なり。音に聞こえしにも勝りたり。我等が手にこそかけずとも、鎮守大明神立ち寄りて蹴殺し給へ」と呪ひけるこそ痴がましけれ。武蔵は敵を打ち払ひて、長刀を逆様に杖に突きて、二王立に立ちにけり。偏に力士の如くなり。一口笑ひて立ちたれば、「あれ見給へあの法師、我等を討たんとて此方を守らへ、痴笑ひしてあるは只事ならず。近く寄りて討たるな」とて近づく者もなし。然る者申しけるは、「剛の者は立ちながら死する事あると言ふぞ。殿原あたりて見給へ」と申しければ、「我あたらん」と言ふ者もなし。或る武者馬にて辺を馳せければ、疾くより死したる者なれば、馬にあたりて倒れけり。長刀を握りすくみてあれば、倒れ様に先へ打ち越す様に見えければ、「すはすは又狂ふは」とて馳せ退き馳せ退き控へたり。され共倒れたる儘にて動かず。其の時我も我もと寄りけるこそ痴がましく見えたりけれ。立ちながらすくみたる事は、君の御自害の程、人を寄せじとて守護の為かと覚えて、人々いよいよ感じけり。