義経記 - 51 鈴木の三郎重家高館へ参る事

重家を御前に召され、「抑和殿は鎌倉殿より御恩賜はるに、世に無き義経が許に来たり、幾程無く斯様の事出で来たるこそ不便なれ」と宣へば、鈴木申しけるは、「さん候。鎌倉殿より甲斐の国にて所領一所賜はりて候ひしが、寝ても寤めても君の御事片時も忘れ参らせず。余りに御面影身にしみて参りたく存じ候ひし間、年来の妻子など熊野の者にて候ひしを、送り遣はし候ひて、今は今生に思ひ置く事いささかも候はず。但し心にかかる事候ふは、一昨日著き申す道にて、馬の足を損ざし候ひて傷み候へ共、御内の案内如何と存じ、申し入れず候ふ。今斯く候へば、然るべき、是こそ期したる弓矢にて候へ。仮令是に参り会ひ候はずとも、遠き近きの差別にてこそ候はんずれ、君討たれさせ給ひぬと承り候はば、何の為に命をかばひ候ふべき。所々にて死候はば、死出の山路も遙かに離り奉るべきに、心安く御供仕り候はん」とて、世に心地よげに申しければ、判官も御涙に咽び、打ち頷き給ひけり。さて鈴木申し上げけるは、「下人に腹巻ばかりこそ著せて参じて候へ。討死の上具足の善悪は要るまじく候へども、後に聞こえ候はん事無下に候はんか」と申しければ、鎧は数多させたるとて、敷目に巻きたる赤糸威の究竟の鎧を取り出だし、御馬に添へ下さる。腹巻は舎弟亀井に取らせけり。