義経記 - 33 吉野法師判官を追ひかけ奉る事

さても義経、十二月廿三日にくうしやうのしやう、しいの嶺、譲葉の峠と言ふ難所を越えて、こうしうが谷にかかりて、桜谷と言ふ所にぞ御座しける。雪降り埋み氷凍て、一方ならぬ山路なれば、皆人疲れに臨みて、太刀を枕にしなどして臥したりけり。判官心許無く思召して、武蔵坊を召して仰せられけるは、「抑此の山の麓に義経に頼まれぬべきものやある。酒を乞ひて疲れを休めて、一先づ落ちばや」とぞ仰せける。弁慶申しけるは、「誰か心安く頼まれ参らせ候はんとも覚えず候ふ。但し此の山の麓に弥勒堂の立たせ御座しまし候ふ。聖武天皇の御建立の所にて、南都の勧修坊の別当にて渡らせ給ひ候へば、其の代官に御岳左衛門と申し候ふ者、俗別当にて候ふ」と申しければ、「頼む方は有りけるごさんなれ」と仰せられて、御文遊ばして、武蔵坊に賜ぶ。麓に下りて、左衛門に此の由言ひければ、「程近く御座しましけるに、今まで仰せ蒙らざりけるよ」とて、身に親しき者五六人呼びて、様々の菓子積み、酒、飯共に長櫃二合、桜谷へぞ参らせける。是程心安かりける事をと仰せられて、十六人の中に二合の長櫃掻き据ゑて、酒に望みをなす人も有り、飯をしたためんとする人も有り。思ふげに取り散らして行はんとし給ふ所に東の杉山の方に人の声幽に聞こえけるを怪しとや思召されけん、「売炭の翁も通はねば、炭焼とも覚えず。峰の細道遠ければ、賎が爪木の斧の音共思はれず」と後ろをきつと見給へば、一昨日中院の谷にて四郎兵衛に打ち洩らされたる吉野法師、未だ憤り忘れずして、甲冑をよろひて、百五十ぞ出で来たる。「すはや、敵よ」と宣ひければ、骸の上の恥をも顧みず、皆散り散りにぞなりにける。常陸坊は人より先に落ちにけり。跡を顧みければ、武蔵坊も君も未だ元の所に働かずして居給ふ。「我等が是まで落つるに、此の人々留まり給ふは如何なる事をか思召すやらん」と申しも果てざりけるに、二合の長櫃を一合づつ取りて、東の磐石へ向けて投げ落とし、積みたる菓子をば雪の外に心静かに掘り埋みてぞ落ち給ひける。弁慶は遙かの先に延びたる常陸坊に追ひ著き、「各々跡を見るに、曇無き鏡を見るが如し。誰も命惜しくは、履を逆さまに履きて落ち給へや」とぞ申しける。判官是を聞き給ひて、「武蔵坊は奇異の事を常に申すぞとよ。如何様に履をば逆様に履くべきぞ」と仰せ有りければ、武蔵坊申しけるは、「さてこそ君は梶原が船に逆櫓と言ふ事を申しつるに、御笑ひ候ひつる」と申せば、「真に逆櫓と言ふ事も知らず。まして履を逆さまに履くと言ふ事は、今こそ初めて聞け。さらば善悪履きて、末代の瑕瑾にもなるまじくは履くべし」とぞ宣ひける。弁慶「さらば語り申さん」とて、十六の大国、五百の中国、無量の粟散国までの代々の帝の次第次第其の合戦の様を語り居たれば、敵は矢比に近づけども、真円に立ち並びて、静々とぞ語らせて聞き給ふ。「十六の大国の内に、西天竺と覚えて候ふ、しらない国、波羅奈国と申す国有り。彼の国の境に香風山と申す山有り。麓に千里の広野有り。此の香風山は宝の山とて、容易く人をも入れざりしを、波羅奈国の王、此の山を取らんと思召して、五十一万騎の軍兵を具して、しらない国へ打ち入り給ふ。彼の国の王も賢王にて渡らせ給ひける間、予て是を知り給ふ事有り。香風山の北の腰に千の洞と言ふ所有り。是に千頭の象有り。中に一の大象有り。国王此の象を取りて飼ひ給ふに、一日に四百石を食む。公卿僉議有りて、「此の象を飼ひ給ひては、何の益かましまさん」と申されければ、帝の仰せには、「勝合戦に遭ふ事無からんや」と宣旨を下し給ひしに、思ひの外に此の戦出で来にければ、武士を向けられず、此の象を召して御口を耳にあてて、「朕が恩を忘るるな」と宣旨を含めて、敵の陣へ放ち給ふ。大象怒をなして、悪象なれば、天に向ひて一声吼えければ、大なる法螺貝千揃へて吹くが如し其の声骨髄に通りて堪え難し。左の足を差し出だして、其方を踏みければ、一度に五十人の武者を踏み殺す。七日七夜の合戦に五十一万騎皆討たれぬ。供奉の公卿侍三人上下十騎に討ちなされ、香風山の北の腰へ逃げ篭り給ふ。頃は神無月廿日余りの事なれば、紅葉麓に散り敷きて、むらむら雪の曙を踏みしだきて落ち行く。国王御身を助けん為にや、履を逆さまに履きて落ち給ふ。先は後、後は先にぞなりにける。追手是を見て、「是は異朝の賢王にてましませば、如何なる謀にてやあるらん。此の山は虎臥す山なれば、夕日西へ傾きては、我等が命も測り難し」とて、麓の里にぞ帰りける。国王御命を助かり給ひて、我が国へ帰りて、五十六万騎の勢を揃へて、今度の合戦に打ち勝つて、悦び重ね給ひしも、履を逆さまに履き給ひし謂はれなり。異朝の賢王もかくこそましませしか、君は本朝の武士の大将軍、清和天皇の十代の御末になり給へり。「敵奢らば我奢らざれ。敵奢らざる。我奢れ」と申す本文有り、人をば知るべからず、弁慶に於ては」とて、真先に履いてぞ進みける。判官是を見給ひて、「奇異の事を見知りたるや。何処にて是をば習ひけるぞ」と仰せられければ、「桜本の僧正の許に候ひし時、法相三論の遺教の中に書きて候ふ」と申しけり。「あはれ文武二道の碩学や」とぞ讚めさせ給ふ。武蔵坊「我より外に心も剛に案も深き者有らじ」と自称して、心静かに落ちけるに、大衆程無くぞ続きける。其の日の先陣は治部の法限ぞしたりける。衆徒に会うて申しけるは、「此処に不思議のあるは如何に。今までは谷へ下りてある跡の、今は又谷より此方へ来たる、如何」と申しければ、後陣に医王禅師と言ふ者走り寄りて、是を見て、「さる事あるらん。九郎判官と申すは、鞍馬育の人なり、文武二道に越えたり、付き添ふ郎等共も一人当千ならぬはなし。其の中に法師二人有り。一人は園城寺の法師に常陸坊海尊とて修学者なり。一人は桜本の僧正の弟子、武蔵坊と申すは、異朝我が朝の合戦の次第を明々に存じたる者にてある間、香風山の北の腰にて、一頭の象に攻め立てられて、履を逆さまに履き落ちたる、波羅奈国の帝の先例を引きたる事もあるらん。隙な有らせそ、只追ひ掛けよや」と申しけり。矢比になるまでは音もせで、近づきて同音に鬨をどつと作りければ、十六人一同に驚く所に、判官「もとより言ふ事を聞かで」と宣ひければ、聞かぬ由にて錏を傾けて、揉みに揉うでぞ落ち行きける。此処に難所一つ有り。吉野河の水上白糸の滝とぞ申しける。上を見れば五丈ばかりなる滝の、糸を乱したるが如し。下を見れば三丈歴々とある紅蓮の淵、水上は遠し、雪汁水に増りて、瀬々の岩間を叩く波、蓬莱を崩すが如し。此方も向ひも水の上は二丈ばかりなる磐石の屏風を立てたるが如し。秋の末より冬の今まで、降り積む雪は消えもせで、雪も氷も等しく、偏へに銀箔を延べたるが如し。武蔵坊は人より先に川の端に行きて見ければ、如何にして行くべき共見えず。然れども人をいためんとや思ひけん、又例の事なれば、「是程の山河を遅参し給ふか。是越し給へや」とぞ申しける。判官宣ひけるは、「何として是をば越すべきぞ。只思ひ切つて腹切れや」とぞ宣ひける。弁慶申しけるは、「人をば知るべからず、武蔵は」とて川の端へ寄りけるが、双眼を塞ぎ祈誓申しける。「源氏の誓まします八幡大菩薩は、何時の程に我が君をば忘れ参らせ給ふぞ。安穏に守り納受し給へ」と申す。目を開き、見たりければ、四五段許り下に興ある節所有り。走り寄りて見れば、両方差し出でたる山先の如くに水は深くたぎりて落ちたるが、向ひを見れば岸の崩れたる所に、竹の一叢生ひたる中に、殊に高く生ひたる竹三本、末は一つにむつれて、日頃降りたる雪に押されて、河中へ撓みかかりたるが、竹の葉には瓔珞を下げたるに似たる垂氷ぞ下りける。判官も是を見給ひて、「義経とても越えつべしとは覚えねども、いでや瀬踏みして見ん。越し損じて川へ入らば、誰も続きて入れよ」と仰せければ、「さ承り候ひぬ」とぞ申しける。判官其の日の装束は赤地の錦の直垂に紅裾濃の鎧に白星の兜の緒をしめ、黄金造りの太刀帯き、大中黒の矢頭高に負ひなし、弓に熊手を取り添へ、左手の脇にかい挟み、川の端に歩み寄りて、草摺搦んで錏を傾け、えい声を出だして跳ね給ふ。竹の末にがはと飛び付きて、相違無くするりと渡り給ふ。草摺の濡れたりけるを、さつさつと打ち払ひ、「其方より見つるよりは、物にては無かりけり。続けや殿原」と仰せを蒙り、越す者は誰々ぞ。片岡、伊勢、熊井、備前、鷲尾、常陸坊、雑色駿河次郎、下部には喜三太、是等を始めて十六人が十四人は越えぬ。今二人は向ひに有り、一人は根尾の十郎、一人は武蔵坊なり。根尾越えんとする所に、武蔵坊射向の袖を控へて申しけるは、「御辺の膝の顫ひ様を見るに、堅固叶ふまじ。鎧脱ぎて越せよや」と申しける。「皆人の著て越ゆる鎧を、某一人脱ぐべき様は如何に」と言ひければ、判官是を聞き給ひて、「何事を申すぞ。弁慶」と問ひ給へば、「根尾に鎧脱ぎて渡れと申し候ひし」と申せば、「和君が計らひにひらに脱がせよ」とぞ仰せける。皆人は三十にも足らぬ健者共なり。根尾は其の中に老体なり。五十六にぞなりにける。「理を枉げて都に留まれ」と、度々仰せけれ共、「君にて渡らせ給ひし程は、御恩にて妻子を助け、君又斯くならせ給へば、我都に留まりて、初めて人に追従せん事詮なし」とて、思ひ切りてぞ、是まで参りける。仰せに従ひて、鎧に具足を脱ぎ置き、かくても叶ふべしとも覚えねば、弓の弦を外し集めて、一つに結び、端を向ひに投げ越して、「其方へ引け。強く控へよ。ちやうど取り付け」とて、下のもろき淵を水に付けてぞ引き越しける。弁慶一人残りて、判官の越え給ひつる所をば越さず、川上へ一町ばかり上りて、岩角に降り積みたる雪を、長刀の柄にて打ち払ひて申しけるは、「是程の山河を越え兼ねて、あの竹に取り付き、がたりびしりとし給ふこそ見苦しけれ。其処退き給へ。此の川相違無く跳ね越えて見参に入らん」と申しければ、判官是を聞き給ひて、「義経を偏執するぞ。目な見遣りそ」と仰せられて、頬貫の緒の解けたるを結ばんとて、兜の錏を傾けて御座しける時、えいやえいやと言ふ声ぞ聞こえける。水は早く岩波に叩きかけられ、只流れに流れ行く。判官是を御覧じて、「あはや仕損じたるは」と仰せられて、熊手を取り直し、河端に走り寄り、たぎりて通る総角に引つ掛け、「是見よや」と仰せられければ、伊勢の三郎づと寄りて、熊手の柄をむずと取る。判官差し覗きて見給へば、鎧著て人に勝れたる大の法師を熊手に掛けて宙に提げたりければ、水たぶたぶとしてぞ引き上げける。今日の命生きて、御前に苦笑してぞ出で来ける。判官是を御覧じて、余りに憎さに、「如何に、口の利きたるには似ざりけり」と仰せられければ、「過は常の事、孔子のたはれと申す事候はずや」と狂言をぞ申しける。皆人は思ひ思ひに落ち行け共、武蔵坊は落ちもせず、一叢有りける竹の中に分け入りて、三本生ひたる竹の本に、物を言ふ様に、掻き口説き申しけるは、「竹も生ある物、我も生ある人間、竹は根ある物なれば、青陽の春も来たらば、また子をも差し代へて見るべし。我等は此の度死しては、二度帰らぬ習ひなれば、竹を伐るぞ。我等が命に代はれ」とて、三本の竹を切り、本には雪をかけ、末をば水にかけてぞ出だしたりける。判官に追ひ著き参らせて、「跡を斯様にしたためたる」と申しける。判官跡を顧み給へば、山河なればたぎりて落つる。昔の事を思召し出でて感じ給ひけるは、「歌を好みしきよちよくは舟に乗りて翻し、笛を好みしほうちよは竹に乗りてくつがへす。大国の穆王は壁に上りて天に上がる。張博望は浮木に乗りて巨海を渡る。義経は竹の葉に乗りて今の山川を渡る」とぞ宣ひて、上の山にぞ上がり給ふ。ある谷の洞に風少しのどけき所有り。「敵河を越えば、下矢先に一矢射て、矢種尽きば腹を切れ、彼奴原渡り得ずは、嘲弄して返せや」とぞ仰せける。大衆程無く押し寄せ、「賢うぞ越え給ひたり。此処や越ゆる、彼処や越ゆ」と口々に罵りけり。治部の法眼申しけるは、「判官なればとて、鬼神にてもよも有らじ。越えたる所はあるらん」と向ひを見れば、靡きたる竹を見付けて、「然ればこそ是に取り付きて越えんには、誰か越さざらん。寄れや者共」とぞ申しける。鉄漿黒なる法師、腹巻に袖付けて著たるが、手鉾長刀脇に挟みて、三人手に手を取り組みて、えい声を出だしてぞ跳ねたりける。竹の末に取り付きて、えいやと引きたりければ、武蔵が只今本を切つて刺したる竹なれば、引きかつぐとぞ見えし。岩波に叩きこめられて、二度とも見えず、底の水屑となりにけり。向ひには上の山にて十六人、同音にどつと笑ひ給へば、大衆余り安からずして、音もせず、日高の禅師申しけるは、「是は武蔵坊と言ふ痴の者奴が所為にてあるぞ。暫く居ては中々痴の者がまし。又水上をめぐらんずるは日数を経てこそめぐらんずれ。いざや帰りて僉議せん」とぞ申しける。「穢し、ついでに跳ね入りて死なん」と言ふ者一人もなし。「尤も此の義に付けや」とて、元の跡へぞ帰りける。判官是を御覧じて、片岡を召して仰せけるは、「吉野法師に逢うて言はんずる様は、「義経が此の河越し兼ねて有りつるに、是まで送り越えたるこそ嬉しけれ」と言ひ聞かせよ。後の為もこそあれ」と仰せければ、片岡白木の弓に大の鏑取りて交ひ、谷越しに一矢射かけて、「御諚ぞ御諚ぞ」と言ひかけけれども、聞かぬ様にしてぞ行きける。弁慶は濡れたる鎧著て、大なる臥木に上りて、大衆を呼びて申しけるは、情ある大衆有らば、西塔に聞こえたる武蔵が乱拍子見よぞと申しける。大衆是を聞き入るる者も有り。「片岡囃せや」と申しければ、誠や中差にて弓の本を叩いて、万歳楽とぞ囃しける。弁慶折節舞ふたりければ、大衆も行き兼ねて、是を見る。舞は面白く有りけれども、笑事をぞ歌ひける。
春は桜の流るれば、吉野川とも名付けたり。秋は、紅葉の流るるなれば、龍田河とも言ひつべし。冬も末になりぬれば、法師も紅葉て流れたりと折り返し折り返し舞ふたれば、誰とは知らず衆徒の中より、「痴の奴にてあるぞや」とぞ言ひける。「汝共、何とも言はば言へ」とて、其の日は其処にて暮しけり。黄昏時にもなりしかば、判官侍共に仰せけるは、「そも御岳左衛門はいしう志有りて参らせつる酒肴を、念無く追ひ散らされたるこそ本意無けれ。誰か其の用意相構へたる者有らば参らせよ。疲れ休めて一先づ落ちん」とぞ仰せける。皆人は「敵の近づき候ふ間、先にと急ぎ候ひつる程に、相構へたる者も候はず」と申しければ、「人々は唯後を期せぬぞとよ。義経は我が身ばかりは構へて持ちたるぞ」とて、間同じ様に立ち給ふぞと見えしに、何時の程にか取り給ひけん、橘餅を廿ばかり檀紙に包みて、引合より取り出ださせ給ひけり。弁慶を召して、「是一つづつ」と仰せければ、直垂の袖の上に置きて、譲葉を折りて敷き、「一つをば一乗の仏に奉る、一つをば菩提の仏に奉る。一つをば道租神に奉る。一つをば山神護法に」とて置きたりけり。餅を見れば十六有り、人も十六人、君の御前に一差し置き、残りをば面々にぞ配りける。「今一つ残るに仏の餅とて四つ置きたるに、取り具して、五つをば某が得分にせん」と申す。皆人々是を賜はつて、手々に持ちてぞ泣きける。「哀なりける世の習ひかな、君の君にて渡らせ給はば、是程に志を思ひ参らせば、毛良き鎧、骨強き馬などを賜はつてこそ、御恩の様にも思ひ参らせ候ふべきに、是を賜はつて、然るべき御恩の様に思ひなし、悦ぶこそ悲しけれ」とて、鬼神を欺き、妻子をも顧みず、命をも塵芥とも思はぬ武士共、皆鎧の袖をぞ濡らしける、心の中こそ申すばかりはなし。判官も御涙を流し給ふ。弁慶も頻りに涙はこぼるれ共、さらぬ体にもてなし、「此の殿原の様に人の参らせたる物を、持ちて賜べばとて泣かれぬものを、泣かんとするは、痴の者にてこそあれ。戒力は力に及ばざる事なり。身を助け候はんばかりに、我も持ちたり。殿原も手々に取りて持たぬこそ不覚なれ。異ならねども是に持ちて候ふ」とて、餅廿ばかりぞ取り出だしける。君もいしうしたりと思召しけるに、御前に跪きて、左の脇の下より黒かりける物の大なるを取り出だし、雪の上にぞ置きたりける。片岡何なるらんと思ひて、差し寄りて見れば、刳形打ちたる小筒に酒を入れて持ちたりけり。懐より土器二つ取り出だし、一つをば君の御前に差し置きて、三度参らせて、筒打ち振りて申す様、「飲手は多し、酒は筒にて小さし。思ふ程有らばこそ。少しづつも」とて飲ませ、残る酒をば持ちたる土器にて差し受け差し受け三度飲みて、「雨も降れ、風も吹け、今夜は思ふ事なし」とて、其の夜はそれにて夜を明かす。明くれば十二月二十三日也。「さのみ山路は物憂し、いざや麓へ」と宣ひて、麓を指して下り、北の岡、しげみが谷と言ふ所までは出で給ひたりけるが、里近かりければ、賎の男賎の女も軒を並べたり。「落人の習ひは鎧を著ては叶ふまじ。我等世にだにも有らば、鎧も心に任せぬべし。命に過ぎたる物有らじ」とて、しげみが谷の古木の下に鎧腹巻十六領脱ぎ棄てて、方々にぞ落ち給ふ。「明年の正月の末、二月の初めには奥州へ下らんずれば、其の時必らず一条今出川の辺にて行き合ふべし」と仰せければ、承りて各々泣く泣く立ち別れ、或いは木幡、櫃河、醍醐、山科へ行く人も有り。鞍馬の奥へ行くも有り。洛中に忍ぶ人も有り。判官は侍一人も具し給はず、雑色をも連れ給はず、しきたへと申す腹巻召し、太刀脇挟み、十二月二十三日の夜打ち更けて、南都の勧修坊の許へぞ御座しける。