義経記 - 32 忠信吉野山の合戦の事

それ師の命に代はりしは、内供智興の弟子証空阿闍梨、夫の命に代はりしは、薫豊が節女なりけり。今命を捨て身を捨てて、主の命に代はり、名をば後代に残すべき事、源氏の郎等に如くはなし。上古は知らず、末代に例有り難し。義経今は遙かにのびさせ給ふらんと思ひ、忠信は三滋目結の直垂に、緋威の鎧、白星の兜の緒を締め、淡海公より伝はりたるつつらいと言ふ太刀三尺五寸有りけるを帯き、判官より賜はりたる黄金造りの太刀を帯副にし、大中黒の廿四さしたる、上矢には青保呂、鏑の目より下六寸ばかりあるに、大の雁股すげて、佐藤の家に伝へて差す事なれば、蜂食の羽を以て矧いだる一つ中差を何れの矢よりも一寸筈を出だして指したりけるを、頭高に負ひなし、節木の弓の戈短く射よげなるを持ち手勢七人、中院の東谷に留まりて、雪の山を高く築きて、譲葉榊葉を散々に切り差して、前には大木を五六本楯に取りて、麓の大衆二三百人を今や今やとぞ待ちたりける。未の終申の刻の始めになりけるまで待ちけれ共、敵は寄せざりけり。かくて日を暮すべき様もなし。「いざや追ひ著き参らせて、判官の御伴申さん」と陣を去りて二町ばかり尋ね行きけれども、風烈しくて雪深ければ、其の跡も皆白妙になりにければ、力及ばず、前の所へ帰りにけり。酉の時ばかりに大衆三百人ばかり谷を隔てて押し寄せて、同音に鬨をぞつくりける。七人も向ひの杉山の中より幽に鬨を合はせけり。さてこそ敵此処に有りとは知られけれ。其の日は執行の代官に川つら法眼と申して悪僧有り。寄足の先陣をぞしたりける。法師なれども尋常に出で立ちけり。萌黄の直垂に紫糸の鎧著て、三枚兜の緒締めて、しんせい作りの太刀帯き、石打の征矢の二十四差したるを頭高に負ひなして、二所籐の弓の真中取りて、我に劣らぬ悪僧五六人前後に歩ませて、真先に見えたる法師は四十ばかりに見えけるが、褐の直垂に黒革威の腹巻、黒漆の太刀を帯き、椎の木の四枚楯突かせ、矢比にぞ寄せたりける。川つらの法眼楯の面に進み出でて、大音揚げて申しけるは、「抑此の山には鎌倉殿の御弟判官殿の渡らせ給ひ候ふ由承りて、吉野の執行こそ罷り向ひ候へ。私等は、何の遺恨候はねば、一先づ落ちさせ給ふべく候ふか、又討死遊ばし候はんか。御前に誰がしが御渡り候ふ。良き様に申され候へや」と賢々しげに申したりければ、四郎兵衛是を聞きて、「あら事も愚や、清和天皇の御末、九郎判官殿の御渡り候ふとは、今まで御辺達は知らざりけるか。日頃好みあるは、訪ひ参らせたらんは、何の苦しきぞ。人の讒言に依つて鎌倉殿御仲当時不和に御座しますとも、寃なれば、などか思召し直し給はざらん、あはれ末の大事かな。仔細を向うて聞けと言ふ御使、何者とか思ふらん。鎌足の内大臣の御末、淡海公の後胤、佐藤左衛門憲たかには孫、信夫の庄司が二男、四郎兵衛の尉藤原の忠信と言ふ者なり。後に論ずるな、慥に聞け、吉野の小法師原」とぞ言ひける。川つらの法眼是を聞きて、賎しげに言はれたりと思ひて、悪所も嫌はず、谷越に喚いてぞかかる。忠信是を見て、六人の者共に逢ひて申しけるは、「是等を近づけては悪しかるべし。御辺達は是にて敵の問答をせよ。某は中差二三つに弓持ちて、細谷河の水上を渡り、敵の後ろに狙ひ寄り、鏑一つぞ限にて有らん。楯突いて居たる悪僧奴が、首の骨か押付かを一矢射て、残の奴原追ひ散らし、楯取りて打ち被き、中院の峰に上りて、突き迎へて、敵に矢を尽くさせ、味方も矢種の尽きば、小太刀抜き、大勢の中へ走り入りて、切り死に死ねや」とぞ申しける。大将軍がよかりければ、付き添ふ若党も一人として悪きはなし。残りの者共申しけるは、「敵は大勢にて候ふに、仕損じ給ふなよ」と申しければ、「置いて物を見よ」とて、中差、鏑矢一おつ取り添へて、弓杖突き、一番の谷を走り上がりて、細谷河の水上を渡り、敵の後ろの小暗き所より狙ひ寄りて見れば、枝は夜叉の頭の如くなる臥木有り。づと登り上がりて見れば、左手に相付けて、矢先に射よげにぞ見えたりける。三人張に十三束三つ伏取つて矧げ、思ふ様に打ち引きて、鏑元へからりと引き掛けて、暫し固めてひやうど射る。末強に遠鳴して、楯突きたる悪僧の弓手の小腕を、楯の板を添へてづと射切り、雁股は手楯に立つ。矢の下にがはとぞ射倒したる。大衆大いに呆れたる所に、忠信弓の下を叩いて喚くやう、「よしや者共、勝に乗りて、大手は進め、搦手は廻れや。伊勢の三郎、熊井太郎鷲尾、備前は無きか。片岡の八郎よ、西塔の武蔵坊は無きか。しやつ原逃すな」と喚きければ、川つらの法眼是を聞きて、「真や判官の御内には、是等こそ手にもたまらぬ者共なれ。矢比に近づきては適ふまじ」とて、三方へ向いてざつと散る。物に譬ふれば、龍田、初瀬の紅葉葉の嵐に散るに異ならず。敵追ひ散らして、楯取つて打ち披き、味方の陣へ突き迎へて、七人は手楯の陰に並み居たり。敵に矢をぞ尽くさせける。大衆手楯を取られ、安からぬ事に思ひ、精兵を選つて矢面に立ち、散々に射る。弓の弦の音、杉山に響く事夥し。楯の面に当たる事、板屋の上に降る霰、砂子を散らす如くなり。半時ばかり射けれ共、矢をば射ざりけり。六人の者共思ひ切りたる事なれば、「何時の為に命をば惜しむべきぞ。いざや軍せん」とぞ申しける。四郎兵衛是を聞きて申しけるは、「只置ひて矢種を尽くさせよ。吉野法師は今日こそ軍の始めなれ、やがて矢も無き弓を持ち、其の門弟と渦巻いたらんずる隙を守りて、散々に射払ひて、味方の矢種尽きば、打物の鞘を外し、乱れ入りて討死せよ」と言ひも果てざりけるに、大衆所々に佇まひて立ちたり。「あはれ隙や、いざや軍せん」とて、射向の袖を楯として、散々にこそ射たりけれ。暫く有りて後ろへぱつとのいて見れば、六人の郎等も四人は打たれて二人になる。二人も思ひ切りたる事なれば、忠信を射させじとや思ひけん。面に立ちてぞ防ぎける。一人は医王禅師が射ける矢に、首の骨を射られて死ぬ。一人は治部の法眼が射ける矢に脇壷射られて失せにけり。六人の郎等皆討たれければ、忠信一人になりて、「中々えせ方人有りつるは、足に紛れて悪かりつるに」と言ひて、箙を探りて見ければ、尖矢一つ、雁股一つぞ射残して有りける。あはれよからん敵出で来よかし。尋常なる矢一つ射て、腹切らんとぞ思ひける。河つらの法眼は其の日の矢合に仕損じて、何の用にも合はせで、其の門弟三十人ばかり、疎に渦巻いて立ちたる、後ろより其の丈六尺許りなる法師の、極めて色黒かりけるが、装束も真黒にぞしたりけるが、褐の直垂に、黒革を二寸に切つて一寸は畳みて威したる鎧に五枚兜のためしたるを猪頚に著なして、三尺九寸有りける黒漆の太刀に、熊の皮の尻鞘入れてぞ帯きたりける。逆頬箙矢配尋常なるに、塗箆に黒羽を以て矧ぎたる矢の箆の太さは笛竹などの様なるが、箆巻より上十四束にたぶたぶと切りたるを、掴差しに差して頭高に負ひなし、糸包の弓の九尺ばかり有りける四人張を杖に突き、臥木に登りて申しけるは、「抑此の度衆徒の軍拝見して候ふに、誠に憶持も無くしなされて候ふ物かな。源氏を小勢なればとて、欺きて仕損ぜられて候ふかや。九郎判官と申すは、世に超えたる大将軍なり。召し使はるる者一人当千ならぬはなし。源氏の郎等も皆討たれ候ひぬ。味方の衆徒大勢死に候ひぬ。源氏の大将軍と大衆の大将軍と運比べの軍仕り候はん。かく申すは何者ぞやと思召す、紀伊国の住人鈴木党の中に、さる者有りとは、予て聞召してもや候ふらん。以前に候ひつる河つらの法眼と申す不覚人には似候ふまじ。幼少の時よりして腹悪しきえせものの名を得候ひて、紀伊国を追ひ出だされて、奈良の都東大寺に候ひし、悪僧立つる曲者にて東大寺も追ひ出だされて、横川と申す所に候ひしが、それも寺中を追ひ出だされて、川つらの法眼と申す者を頼みて、此の二年こそ吉野には候へ。然ればとて横川より出で来たり候ふとて、其の異名を横河の禅師覚範と申す者にて候ふが、中差参らせて現世の名聞と存ぜうずるに、御調度給ひては、後世の訴へとこそ存じ候はんずれ」と申して、四人張りに十四束を取つて矧げ、かなぐり引きによつ引きてひやうど放つ。忠信弓杖突きて立ちたるを、弓手の太刀打をば射て射越し、後ろの椎の木に沓巻せめて立つ。四郎兵衛是を見て、はしたなく射たる物かな、保元の合戦に鎮西の八郎御曹司の、七人張りに十五束を以て遊ばしたりしに、鎧著たるものを射貫き給ひしが、それは上古の事末代には如何でか是程の弓勢あるべしとも覚えず、一の矢射損じて、二の矢をば直中を射んとや思ふらん。胴中射られて叶はじと思ひければ、尖矢を差し矧げてあてては、差し許し差し許し二三度しけるが、矢比は少し遠し、風は谷より吹き上ぐる、思ふ所へはよも行かじ、仮令射中てたりとも、大力にて有るなれば、鎧の下に札良き腹巻などや著たるらん、裏掻かせずしては、弓矢の疵になりなん、主を射ば射損ずる事もあるべし、弓を射ばやとぞ思ひける。大唐の養由は、柳の葉を百歩に立て、百矢を射けるに百矢は中りけるとかや。我が朝の忠信は、こうがいを五段に立てて射外さず。まして弓手のものをや。矢比は少し遠けれども、何射外すべきとぞ思ひける。矧げたる矢をば雪の上に立て、小雁股を差し矧げて、小引に引きて待つ所に覚範一の矢を射損じて、念無く思ひなして、二の矢を取つて番ひ、そぞろ引く所をよつ引いてひやうど射る。覚範が弓の鳥打をはたと射切られて、弓手へ棄げ捨て、腰なる箙かなぐり棄て、「我も人も運の極めは、前業限り有り。さらば見参せん」とて、三尺九寸の太刀抜き、稲妻の様に振りて、真向に当てて喚いて懸かる。四郎兵衛も思ひ設けたる事なれば、弓と箙を投げ棄てて、三尺五寸のつつらいと言ふ太刀抜きて待ち懸けたり。覚範は象の牙を磨くが如く喚いて懸かる。四郎兵衛も獅子の怒をなして待ち懸けたり。近づくかとすれば、逸りきつたる太刀の左手も右手も嫌はず、薙ぎ打ちに散々に打つてかかる。忠信も入れ交へてぞ斬り合ひける。打ち合はする音のはためく事、御神楽の銅拍子を打つが如し。敵は大太刀を持つて開いたる、脇の下よりづと寄りて、新鷹の鳥屋を潛らんとする様に、錏を傾け乱れ入りてぞ切つたりける。大の法師攻め立てられて、額に汗を流し、今は斯うとぞ思ひける。忠信は酒も飯もしたためずして、今日三日になりければ、打つ太刀も弱りける。大衆は是を見て、「よしや覚範勝に乗れ、源氏は受太刀に見え給ふぞ。隙な有らせそ」と、力を添へてぞ切らせける。暫しは進みて切りけるが、如何したりけん、是も受刀にぞなりにける。大衆是を見て、「覚範こそ受刀に見ゆれ。いざや下り合ひて助けん」と言ひければ、「尤もさあるべし」とて、落ち合ふ大衆誰々ぞ。医王禅師、常陸の禅師、主殿助、薬院の頭、かへりさかの小聖、治部の法眼、山科の法眼とて、究竟の者七人喚きて懸かる。忠信是を見て、夢を見る様に思ふ所に、覚範叱つて申しけるは、「こは如何に衆徒、狼藉に見え候ふぞや、大将軍の軍をば、放ち合はせてこそ物を見れ。落ち合ひては末代の瑕瑾に言はんずる為かや。末の世の敵と思はんずるぞや」と申す間「落ち合ひたりとても、嬉しとも言はざらんもの故に、只放ち合はせて物を見よ」とて、一人も落ち合はず。忠信は憎し、彼奴一引き引きて見ばやとぞ思ひける。持ちたる太刀を打ち振りて、兜の鉢の上にからりと投げ懸けて、少しひるむ所を帯副の太刀を抜きて走りかかりて、ちやうど打つ。内胄へ太刀の切先を入れたりけり。あはやと見ゆる所に、錏を傾けてちやうど突く。鉢付をしたたかに突かれけれ共、頚には仔細なし。忠信は三四段ばかり引いて行く。大の臥木有り。たまらずゆらりとぞ越えにける。覚範追ひ掛けてむずと打つ。打ち外して臥木に太刀を打ち貫きて、抜かん抜かんとする隙に、忠信三段ばかりするすると引く。差し覗きて見れば、下は四十丈許りなる磐石なり。是ぞ龍返しとて、人も向はぬ難所なる。左手も右手も、足の立て所も無き深き谷の、面を向くべき様もなし。敵は後ろに雲霞の如くに続きたり。此処にて切られたらば、敢無く討たれたるとぞ言はれんずる。彼処にて死にたらば、自害したりと言はれんと思ひて、草摺掴んで、磐石へ向ひて、えいや声を出だして跳ねたりけり。二丈許り飛び落ちて、岩の間に足踏み直し、兜の錏押しのけて見れば、覚範も谷を覗きてぞ立ちたりける。「正無く見えさせ給ふかや。返し合はせ給へや。君の御供とだに思ひ参らせ候はば、西は西海の博多の津、北は北山、佐渡の島、東は蝦夷の千島までも御伴申さんずるぞ」と申しも果てず、えい声を出だして跳ねたりけり。如何したりけん、運の極めの悲しさは、草摺を臥木の角に引き掛けて、真逆様にどうど転び、忠信が打物提げて待つ所へ、のさのさと転びてぞ来たりける。起上がる所を、以て開いてちやうど打つ。太刀は聞こゆる宝物なり。腕は強かりけり。兜の真向はたと打ち割り、しや面を半ばかりぞ切り付けける。太刀を引けば、がはと伏す。起きん起きんとしけれども、只弱りに弱りて、膝を抑へて唯一声、うんとばかりを後言にして、四十一にてぞ死ににける。思ふ所に斬り伏せて、忠信は斬し休みて、抑へて首を掻き、太刀の先に貫きて、中院の峰に上りて、大の声を以て、「大衆の中に此の首見知りたる者やある。音に聞こえたる覚範が首をば義経が取りたるぞ。門弟有らば取りて孝養せよ」とて雪の中へぞ投げ入れたる。大衆是を見て、「覚範さへも叶はず、まして我等さこそ有らんず。いざや麓に帰りて、後日の僉議にせん」と申しければ、穢し、共に死なんと申す者も無くて、「此の儀に同ず」と申して、大衆は麓に帰りければ、忠信独り吉野に捨てられて、東西を聞きければ、甲斐無き命生きて、「我を助けよ」と言ふ者も有り。空しき輩も有り。忠信郎等共を見けれども、一人も息の通ふ者なし。頃は廿日の事なれば、暁かけて出づる月宵は未だ暗かりけり。忠信は必らず死なれざらん命を死なんとせんも詮なし。大衆と寺中の方へ行かんとぞ思ひける。兜をば脱いで高紐に掛け、乱したる髪取り上げ、血の付きたる太刀拭ひて打ちかつぎ、大衆より先に寺中の方へぞ行きける。大衆是を見て、声々に喚きける。「寺中の者共は聞かぬかや。判官殿は山の軍に負け給ひて、寺中へ落ち給ふぞ。それ逃がし奉るな」とぞ喚きける。風は吹く、雪は降る。人々是を聞き付けず。忠信は大門に差し入りて、御在所の方を伏し拝み、南大門を真下りに行きけるが、左の方に大なる家有り。是は山科の法眼と申す者の坊なり。差し入りて見れば、方丈には人一人もなし。庫裡の傍らに法師二人児三人居たり。様々の菓子共積みて、瓶子の口包ませ立てたりけり。四郎兵衛是を見て、「是こそ良き所なれ。何ともあれ、汝が酒盛の銚子はそれんずらん」と、太刀打ちかたげて縁の板をがはと踏みて、荒ららかにづと入る。児も法師も如何でか驚かであるべき。腰や抜けたりけん、高這にして三方へ逃げ散る。忠信思ふ座敷にむずと居直り、菓子共引き寄せて、思ふ様にしたためて居たる所に、敵の声こそ喚きけれ。忠信是を聞きて、提子盃取り廻らん程に、時刻移しては叶はずと思ひ、酒に長じたる男にて、瓶子の口に手を入れて、傍らを引きこぼして打ち飲みて、兜は膝の下に差し置き、小しも騒がず、火にて額焙りけるが、重き鎧は著たり、雪をば深く漕ぎたり。軍疲れに酒は飲みつ、火にはあたる、敵の寄手喚くをば、夢に見て眠り居たりけり。大衆此処に押し奇せて、「九郎判官是に御渡り候ふか、出でさせ給へ」と言ひける声に驚いて、兜を著、火を打ち消して、「何に憚りをなすぞや。志のある者は此方へ参れや」と申しけれども、命を二つ持ちたらばこそ、左右無くも入らめ、只外に渦巻いゐたり。山科の法眼申しけるは、「落人を入れて、夜を明かさん事も心得ず、我等世にだにも有らば、是程の家一日に一つづつも造りけん。只焼き出だして射殺せ」とこそ申しける。忠信是を聞きて、敵に焼き殺されて有りと言はれんずるは、念も無き事なり。手づから焼け死にけると言はれんと思ひて、屏風一具に火を付けて、天井へなげ上げたり。大衆是を見て、「あはや内より火を出だしたるは。出で給はん所を射殺せ」とて、矢を矧げ太刀長刀を構へて待ちかけたり。焼き上げて忠信、広縁に立ちて申しけるは、「大衆共万事を鎮めて是を聞け。真に判官殿と思ひ奉るかや。君は何時か落ちさせ給ひけん。是は九郎判官殿にては、渡らせ給はぬぞ。御内に佐藤四郎兵衛藤原の忠信と言ふ者なり。我が討ち取る人の、討ち取りたりと言ふべからず。腹切るぞ。首を取りて、鎌倉殿の見参に入れよや」とて、刀を抜き、左の脇に刺し貫く様にして、刀をば鞘にさして、内へ飛んで帰り、走り入り、内殿の引橋取つて、天井へ上りて見ければ、東の鵄尾は未だ焼けざりけり。関板をがはと踏み放し、飛んで出で見ければ、山を切りて、かけ作りにしたる楼なれば、山と坊との間一丈余りには過ぎざりけり。是程の所を跳ね損じて、死ぬる程の業になりては力及ばず。八幡大菩薩、知見を垂れ給へと祈誓して、えい声を出だして跳ねたりければ、後ろの山へ相違無く飛び付きて、上の山に差し上がり、松の一叢有りける所に鎧脱ぎ、打ち敷きて、兜の鉢枕にして、敵の周章狼狽く有様を見てぞ居たりける。大衆申しけるは、「あら恐ろしや。判官殿かと思ひつれば、佐藤四郎兵衛にて有りけるものを。欺られ多くの人を討たせつるこそ安からね。大将軍ならばこそ首を取つて鎌倉殿の見参にも入れめ。憎し、只置きて焼き殺せや」とぞ言ひける。火も消え、炎も鎮まりて後、焼けたる首をなりとも、御坊の見参に入れよとて、手々に探せ共、自害もせざりければ、焼けたる首もなし。さてこそ大衆は、「人の心は剛にても剛なるべき者なり。死して後までも屍の上の恥を見えじとて、塵灰に焼け失せたるらめ」と申して、寺中にぞ帰りける。忠信、其の夜は蔵王権現の御前にて夜を明かし、鎧をば権現の御前に差し置きて、廿一日の曙に御岳を出でて、二十三日の暮程に、危き命生きて、二度都へぞ入りにける。