「天に口無し、人を以て言はせよ」と、大物浦にも騒動す。宵には見えぬ船の夜の中に著きて、苫を取らせず、是ぞ怪しけれ。何舟にてある、引き寄せて見んとて、五百余騎三十艘の舟に取り乗り、押し出だす。潮干なれ共小船なり、足は浅し、究竟の楫取は乗せたり、思ふ様に漕ぎかけて、大船を中に取り篭め、漏らすなとぞ罵りける。判官御覧じて、「敵が進めばとて、味方は周章つな。義経が船と見ば左右無くよも近づかじ。狼藉せば武者に目なかけそ。柄長き熊手を拵へて、大将と覚しからん奴を手捕にせよ」とぞ宣ひける。武蔵坊申しけるは、「仰せはさる事にて候へ共、船の中の軍は大事のものにて候ふ。今日の矢合は余の人は望あるべからず。弁慶仕り候はん」と申しければ、片岡是を聞きて、「僧党の法には、無縁の人を弔ひ、結縁の者を導くこそ法師とは申せ。軍とだに言へば、御辺の先立つ事は如何ぞ。退き給へ、経春矢一つ射ん」とぞ申しける。弁慶是を聞きて、「御辺より外は、此の殿の御内に弓矢取る者は無きか」とぞ申しける。佐藤四郎兵衛是を聞きて、御前に畏まつて申しけるは、「かかる事こそ御座候へ。此の人共が先駆論ずる間に、敵は近づきぬ。あはれ、仰せを蒙りて、忠信先を仕り候はばや」と申しければ、判官、「いしう申したる者かな。望めかしと思ひつる所に」とて、やがて忠信に先駆を賜はつて、三滋目結の直垂に、萌黄威の鎧に、三枚兜の緒を締め、怒物作の太刀帯き、鷹護田鳥尾の矢廿四指したるを頭高に負ひなして、上矢に大の鏑二つ指したりける、節巻の弓持ちて、舳に打ち渡りて出で合ひたり。豊島の冠者、上野判官、両大将軍として、掻楯かいたる小船に取り乗りて、矢比に漕ぎ寄せて申しけるは、「抑此の御船は判官殿の御船と見参らせて候ふ。かく申すは豊島冠者と上野判官と申すものにて候ふ。鎌倉殿の御使と申し、此の所に左右無く落人の入らせ給ひ候ふを、漏らし参らせ候はん事、弓矢の恥辱にて候ふと存ずる間、参りて候ふ」と申しければ、「四郎兵衛忠信と申す者にて候ふぞ」と、言ひも果てず、つい立ち上がる。豊島冠者言ひけるは、「代官は自身に同じ」とて、大の鏑を打ちはめて、よく引きてひやうど射る。鏑は遠鳴して船端にどうど立つ。四郎兵衛是を見て、「ときのつくりと日の敵は、真中をふつと射ちぎりたるこそ面白けれ。忠信程の源氏の郎等を戯笑せらるる武士とこそ覚えね。手並を見給へ」とて三人張に十三束三つがけ取つて交ひ、よく引きてひやうど射る。鏑は遠鳴して、大雁股の手先、内冑に入るとぞ見えし、首の骨をかけず、ふつと射ちぎりて、雁股は鉢付に立つ。首は兜の鉢につれて、海へたぶとぞ入りにける。上野判官是を見て、「さな言はせそ」とて、押し違へて、箙の中指取つて、よつ引いてひやうど射る。忠信が矢差し矧げて立ちたる弓手の兜の鉢を射削りて、鏑は海へ入る。忠信是を見て、「地体此の国の住人は敵射る様をば知らざりける。奴に手並の程を見せん」とて、尖矢を差し矧げて、小引きに引きて待つ。敵一の矢射損じて、念も無げに思ひなして、二の矢を取つて交ひ、打ち上ぐる所を、よつ引きてひやうど射る。弓手の脇の下より右手の脇に五寸許り射出だす。即ち海へたぶと入る。忠信次の矢をば矧げながら御前に参りける。不覚とも高名とも沙汰の限りとて、一の筆にぞ付けられける。豊島冠者と上野判官討たれければ、郎等共矢比より遠く漕ぎ退けたり。片岡、「如何に四郎兵衛殿、軍は何とし給ひたり」と言へば、「手の上手が仕りて候ふ」と申しければ、「退き給へ。さらば経春も矢一つ射て見ん」と言ひければ、さらばとて退きにけり。片岡白き直垂に黄白地の鎧著て、わざと兜は著ざりけり。折烏帽子に烏帽子懸して、白木の弓脇に挟み、矢櫃一合せがいの上にからと置きて、蓋を取りて除けければ、箆をば揉めで節の上を掻き刮げて、羽をば樺矧に矧ぎたる矢の、いちいと黒樫と強げなる所を拵へて、周り四寸、長さ六寸に拵へて、角木割を五六寸ぞ入れたりける。「何ともあれ、是を以て、主を射ばこそ、鎧の裏かかぬ共言はれめ、四国のかた杉舟の端薄なるに、大勢は込み乗りて、船足は入りたり、水際を五寸ばかり下げて、矢目近にひやうど射るならば、鑿を以て割る様にこそ有らんずらめ。水舟に入らば、ふみ沈めふみ沈めて、皆失せんとするものを。助舟寄らば、精兵小兵をば嫌ふべからず。釣瓶矢に射てくれよ」とぞ申しける。兵共「承る」と申しける。片岡せがいの上に片膝突いて、差し詰め引き詰め、散々にこそ射たりけれ。船腹にいちいの木割を十四五射立てて置きたりければ、水一はた入る。周章狼狽きて、踏み返し、目の前にて杉舟三艘まで失せにけり。豊島冠者亡せにければ、大物浦に船を漕ぎ寄せて、空しき体を舁きて、泣く泣く宿所へぞ帰りける。武蔵坊は常陸坊を呼びて申しけるは、「安からぬ事かな。軍すべかりつるものを。かくて日を暮さん事は宝の山に入りて、手を空しくしたるにてこそあれ」と後悔する所に、小溝太郎は大物に軍有りと聞きて、百騎の勢にて大物浦に馳せ下りて、陸に上げたりける船を五艘押し下し、百騎を五手に分けて、我先にと押し出だす。是を見て、弁慶は黒革威、海尊は黒糸威の鎧著たり。常陸坊は元より究竟の楫取なりければ、小船に取り乗り、武蔵坊はわざと弓矢をば持たざりけり。四尺+二寸有りける柄装束の太刀帯いて、岩透と言ふ刀をさし、猪の目彫りたる鉞、薙鎌、熊手舟にからりひしりと取り入れて、身を放さず持ちける物は、いちいの木の棒の一丈+二尺有りけるに、鉄伏せて上に蛭巻したるに、石突したるを脇に挟みて、小舟の舳に飛び乗る。「様も無き事、此の舟をあの中にするりと漕ぎ入れよ。其の時熊手取りて敵の舟端に引つかけ、するりと引き寄せてがはと乗り移り、兜の真向、篭手の番、膝の節、腰骨、薙打ちに散々に打たんずる程に、兜の鉢だにも割れば、主奴が頭もたまるまじ。只置いて物を見よ」と呟き言して、疫神の渡る様にて押し出だす。味方は目をすまして是を見る。小溝太郎申しけるは、「抑是程の大勢の中に、只二人乗つて寄る者は、何者にてかあるらん」と言へば、或る者是を見て、「一人は武蔵坊、一人は常陸坊」とぞ申しける。小溝是を聞きて、「それならば手にもたまるまじぞ」とて、船を大物へぞ向けさせける。弁慶是を見て声を上げて、「穢しや、小溝太郎とこそ見れ。返し合はせよや」と言ひけれ共、聞きも入れず引きけるを、「漕げや海尊」と言ひければ、舟端を踏まへて、ぎしめかしてぞ漕ぎたりける。五艘の真中へするりと漕ぎ入れければ、熊手を取つて敵の舟に打ち貫き、引き寄せゆらりと乗り移り、艫より舳に向きて、薙打ちにむずめかして、拉ぎ付けてぞ通りける。手に当たる者は申すに及ばず、当たらぬ者も覚えず知らず海へ飛び入り飛び入り亡せにけり。判官是を見給ひて、「片岡あれ制せよ。さのみ罪な作りそ」と仰せられければ、「御諚にて候ふ。さのみさのみ罪な作られそ」と言ひければ、弁慶是を聞きて、「それを申すぞよ、末も通らぬ青道心、御諚を耳にな入れそ。八方を攻めよ」とて散々に攻む。杉船二艘は失せて、三艘は助かり、大物浦へぞ逃げ上がりける。其の日判官軍に勝ちすまし給ひけり。御舟の中にも手負ふ者十六人、死ぬるは八人ぞ有りける。死したる者をば、敵に首を取られじと、大物の沖にぞ沈めける。其の日は御舟にて日を暮し給ふ。夜に入りければ、人々皆陸に上げ奉り給ひて、志は切なけれども、斯くては叶ふまじとて、皆方々へぞ送られける。二位大納言の姫君は、駿河の次郎承つて送り奉る。久我大臣殿の姫君をば喜三太が送り奉る。其の外残りの人々は、皆縁々に付けてぞ送り給ひける。中にも静をば志深くや思はれけん、具し給ひて、大物浦をば立ち給ひて、渡辺に著いて、明くれば、住吉の神主長盛が許に著き給ひて、一夜を明かし給ひて、大和国宇陀郡岸岡と申す所に著き給ひて、外戚に付けて、御親しき人の許に暫しおはしけり。北条四郎時政、伊賀伊勢の国を越えて、宇陀へ寄すると聞こえければ、我故人に大事をかけじとて、文治+元年十二月十四日の曙に、麓に馬を乗り捨てて、春は花の名山と名を得たる吉野の山にぞ篭られける。



