弁慶思ひけるは、人の重宝は千揃へて持つぞ。奥州の秀衡は名馬千疋、鎧千領、松浦の太夫は胡籙千腰、弓千張、斯様に重宝を揃へて持つに、我々は代はりの無ければ、買ひて持つべき様なし。詮ずる所、夜に入りて、京中に佇みて、人の帯きたる太刀千振取りて、我が重宝にせばやと思ひ、夜な夜な人の太刀を奪ひ取る。暫しこそ有りけれ、「当時洛中に丈一丈ばかり有る天狗法師の歩きて、人の太刀を取る」とぞ申しける。かくて今年も暮れければ、次の年の五月の末、六月の初めまでに多くの太刀を取りたり。樋口烏丸の御堂の天井に置く。数へ見たりければ、九百九十九こそ取りたりける。六月十七日五条の天神に参りて、夜と共に祈念申しけるは、「今夜の御利生によからん太刀与へて賜び給へ」と祈誓し、夜更くれば、天神の御前に出で、南へ向ひて行きければ、人の家の築地の際に佇みて、天神へ参る人の中に良き太刀持ちたる人をぞ待ち懸けたり。暁方になりて、堀河を下りに行きければ、面白く笛の音こそ聞こえけれ。弁慶是を聞きて、面白や、さ夜更けて、天神へ参る人の吹く笛か、法師やらん男やらん、よからん太刀を持ちたらば、取らんと思ひて、笛の音の近づきければ、差し屈みて見れば、未だ若人のしろき直垂に胸板を白くしたる腹巻に、黄金造りの太刀の心も及ばぬを帯かれたり。弁慶是を見て、あはれ太刀や、何ともあれ、取らんずるものをと思ひて待つ所に、後に聞けば恐ろしき人にてぞ有りける。弁慶は如何でか知るべき。御曹司は見給ひて、四辺に目をも放たれず、むくの木の下を見給ひければ、怪しからぬ法師の太刀脇挟みて立ちたるを見給へば、彼奴は只者ならず、此の頃都に人の太刀奪ひ取る者は彼奴にて有るよと思はれて、少しもひるまずかかり給ふ。弁慶さしも雄猛なる人の太刀をだにも奪ひ取る、まして是等程なる優男、寄りて乞はば、姿にも声にも怖ぢて出ださんずらん。げに呉れずは、突倒し奪ひ取らんと支度して、弁慶現れ出で、申しけるは、「只今静まりて敵を待つ所に怪しからぬ人の物具して通り給ふこそ怪しく在じ候へ。左右無くえこそ通すまじけれ。然らずは其の太刀此方へ賜はりて通られ候へ」と申しければ、御曹司是を聞き給ひて、「此の程さる痴の者有りとは聞き及びたり。左右無くえこそ取らすまじけれ。欲しくは寄りて取れ」とぞ仰せられける。「さては見参に参らん」とて、太刀を抜いで飛んでかかる。御曹司も小太刀を抜いで築地の許に走り寄り給ふ。武蔵坊是を見て、「鬼神とも言へ、当時我を相手にすべき者こそ覚えね」とて以て開いてちやうど打つ。御曹司「彼奴は雄猛者かな」とて、稲夫の如く弓手の脇へづと入り給へば、打ち開く太刀にて築地の腹に切先打ち立てて、抜かんとしける暇に、御曹司走り寄りて、弓手の足を差し出だして、弁慶が胸をしたたかに踏み給へば、持ちたる太刀をからりと棄てたるを取つて、えいやと言ふ声の内に九尺ばかり有りける築地にゆらりと飛び上がり給ふ。弁慶胸はいたく踏まれぬ。鬼神に太刀取られたる心地して、あきれてぞ立ちたりける。御曹司「是より後にかかる狼藉すな。さる痴の者有りかとかねて聞きつるぞ。太刀も取りてゆかんと思へども、欲しさに取りたりと思はんずる程に取らするぞ」とて築地の覆ひに押し当てて、踏みゆがめてぞ投げかけ給ふ。太刀取つて押し直し、御曹司の方をつらげに見遣りて、「念無く御辺はせられて候ふ物かな。常に此の辺におはする人と見るぞ。今宵こそ仕損ずるとも是より後においては心許すまじき物を」とつぶやきつぶやきぞ行きける。御曹司是を見給ひて、何ともあれ、彼奴は山法師にてぞ有るらんと思召しければ、「山法師人の器量に似ざりけり」と宣へども、返事もせず。何ともあれ、築地より下り給はん所を切らんずるものをと思ひて待ちかけたり。築地よりゆらりと飛び下り給へば、弁慶太刀打ち振りてづと寄る。九尺の築地より下り給ひしが、下に三尺ばかり落ちつかで、又取つて返し上にゆらりと飛び返り給ふ。大国の穆王は六韜を読み、八尺の壁を踏んで天に上がりしをこそ上古の不思議と思ひしに、末代と雖も、九郎御曹司は六韜を読みて、九尺の築地を一飛びの中に宙より飛び返り給ふ。弁慶は今宵は空しく帰りけり。