弁慶阿波国より播磨国に渡り、書写山に参り、性空上人の御影を拝み奉り、既に下向せんとしたるが、同じくは一夏篭らばやと思ひける。此の夏と申すは諸国の修行者充満して、余念も無く勤めける。大衆は学頭の坊に集会し、修行者経所に著く。夏僧は虚空蔵の御堂にて、人に付いて夏中の様を聞きて、学頭の坊に入りけるに、弁慶は推参して、長押の上に憎気なる風情して、学頭の座敷を暫く睨みて居たりけり。学頭共是を見て、「一昨日昨日の座敷にも有り共覚えぬ法師の推参せられ候ふは、何処よりの修行者ぞ」と問ひければ、「比叡の山の者にて候ふ」と申しければ、「比叡の山はどれより」「桜本より」と申す。「僧正の御弟子か」と申せば、「さん候」「御俗姓は」と問はれて、事しげなる声して、「天児屋根の苗裔、中の関白道隆の末、熊野の別当の子にて候ふ」と申しけるが、一夏の間は如何にも心に入れて勤め、退転無く行ひて居たりける。衆徒も「初めの景気今の風情相違して見えたり。されば人には馴れて見えたり。隠便の者にて有りけるや」とぞ褒めける。弁慶思ひけるは、斯くて一夏も過ぎ、秋の初めにもなりなば、又国々に修行せんとぞ思ひける。されども名残を惜しみて出でもやらで居たり。さてしも有るべき事ならねば、七月下旬に学頭に暇乞はんとて行きたりければ、児大衆酒盛してぞ有りける。弁慶参じては詮無しと思ひて出でけるが、新しき障子一間立たる所有り。此処に昼寝せばやと思ひて、暫く臥しけるに、其の頃書写に相手嫌はぬ諍好む者有り。信濃坊戒円とぞ申しける。弁慶が寝たるを見て、多くの修行者見つれども、彼奴程の広言して憎気なる者こそ無けれ。彼奴に恥をかかせて、寺中を追ひ出ださんと思ひて、硯の墨摺り流し、武蔵坊が面に二行物を書いたりけり。片面には「足駄」と書き、片面には「書写法師の足駄に履く」と書きて、
弁慶は平足駄とぞなりにけり面を踏めども起きも上がらず
と書き付けて、小法師原を二三十人集めて、板壁を敲いて同音に笑はせける。武蔵坊悪しき所に推参したりけるやと思ひて、衣の袂引き繕ひて衆徒の中へぞ出でにける。衆徒是を見て、目引き鼻引き笑ひけり。人は感に堪へで笑へども、我は知らねばをかしからず。人の笑ふに笑はずは、弁慶遍執に似ると思ひ、共に笑ひの顔してぞ笑ひける。されども座敷の体隠しげに見えければ、弁慶我が身の上と思ひて、拳を握り、膝を抑へて、「何の可笑しきぞ」と叱りける。学頭是を見給ひて、「あはや此の者座こそ損じて見え候へ。如何様寺の大事となりなんず」と宣ひて、「詮無き事に候ふ。御身の事にては候はぬ。外処の事を笑ひて候ふ。何の詮かおはすべき」と宣へば、座敷を立つて、但島の阿闍梨と言ふ者の坊、其の間一町ばかり有り、是も修行者の寄合所にて有りければ、何処へ行き会ふ人々も弁慶を笑はぬ人はなし。怪しと思ひて、水に影を写して見れば、面に物をぞ書かれたる。さればこそ、是程の恥に当たつて、一時なりとも有りて詮なし。何方へも行かんと思ひけるが、又打ち返し思ひけるは、我一人が故に山の名をくたさん事こそ心憂けれ。諸人を散々に悪口して咎むる者をならはして、恥をすすぎて出でばやと思ひて、人々の坊中へめぐり、散々に悪口す。学頭此の事を聞きて、「何ともあれ。書写法師面を張り伏せられぬと覚ゆる。此の事僉議して、此の中に僻事の者有らば、それを取つて修行者に取らせて、大事を止めん」とて衆徒催して、講堂にして学頭僉議す。されども弁慶は無かりけり。学頭使者を立てけれども、老僧の使の有るにも出でざりけり。重ねて使ひ有るに、東坂の上に差し覗きて、後ろの方を見たりければ、廿二三ばかりなる法師の、衣の下に伏縄目の鎧腹巻著てぞ出で来たる。弁慶是を見て、こは如何に、今日は隠便の僉議とこそ聞きつるに、彼奴が風情こそ怪しからね、内々聞くに、衆徒僻事をしたらば拷を乞へ、修行者僻事有らば小法師原に放ち合はせよと言ふなるに、かくて出で、大勢の中に取り篭められ叶ふまじ。我もさらば行きて出で立たばやと思ひて、学頭の坊に走り入りて「こは如何」と人の問ふ返事をもせず、人も許さざりけるに、何時案内は知らねども、納殿につと走り入りて、唐櫃一合取つて出で、褐の直垂に黒糸威の腹巻著て、九十日剃らぬ頭に、揉烏帽子に鉢巻し、石槌の木を以て削りたる棒の、八角に角を立てて、本を一尺ばかり丸くしたるを引杖にして、高足駄を履いて、御堂の前にぞ出で来る。大衆是を見て、「此処に出で来る者は何者ぞ」と言ひければ、「是こそ聞こゆる修行者よ」「あら怪しからぬ有様かな。此の方へ呼びてよかるべきか、捨てて置きてよかるべきか」「捨て置いても、呼びてもよかるまじ」「さらば目な見せそ」と申しける。弁慶是を見て、如何にとも言はんかと思ひつるに、衆徒の伏目になりたるこそ心得ね。善悪を外処にて聞けば大事なり。近づきて聞かばやと思ひ、走り寄つて見ければ、講堂には老僧児共打ち交りて三百人ばかり居流れたり。縁の上には中居の者共、小法師原一人も残らず催したり。残る所無く寺中上を下に返して出で来る事なれば、千人ばかりぞ有りける。其の中に悪しく候ふとも言はず、足駄踏みならし、肩をも膝をも踏み付けて通りけり。あともそとも言はば、一定事も出で来なんと思ふ。皆肩を踏まれて通しけり。階の許に行きて見れば、履物共ひしと脱ぎたり。我も脱ぎ置かばやと思ひけるが、脱げば災を除くに似ると思ひ、履きながらがらめかしてぞ上りけり。衆徒咎めんとすれば事乱れぬべし。詮ずる所、取り合ひて詮なしとて、皆小門の方へぞ隠れける。弁慶は長押の際を足駄履きながら彼方此方へぞ歩きける。学頭「見苦しきものかな、さすが此の山と申すは、性空上人の建立せられし寺なり。然るべき人おはする上、幼き人の腰もとを足駄履いて通る様こそ奇怪なれ」と咎められて弁慶つい退つて申しけるは、「学頭の仰せは勿論に候ふ。然様に縁の上に足駄履いて候ふだにも狼藉なりと咎め給ふ程の衆徒の、何の緩怠に修行者の面をば足駄にしては履かれけるぞ」と申しければ、道理なれば衆徒音もせず。中々放ち合はせて置きたらば、学頭の計らひに如何様にも賺して出づべかりしを、禍起こりたりける。信濃是を聞きて、「興なる修行法師奴が面や」と居丈高になりて申しける。「余りに此の山の衆徒は驍傲が過ぎて、修行者奴等に目を見せて、既に後悔し給ふらんものを、いで習はさん」とて、つと立つ。あは、事出で来たりとて犇めく。弁慶是を見て、「面白し、彼奴こそ相手嫌はずのえせ者よ。己れが腕の抜くるか、弁慶が脳の砕くるか。思へば弁慶が面に物を書きたる奴か、憎い奴かな」とて、棒を取り直し、待ち懸けたり。戒円が寺の法師原五六人、座敷に有りけるが、是を見て、「見苦しく候ふ。あれ程の法師、縁より下に掴み落して、首の骨踏み折つて捨てん」とて、衣の袖取りて結び、肩にかけ、喚き叫んで懸かるを見て、弁慶えいやと立ち上がり、棒を取つて直し、薙打に一度に縁より下へ払ひ落しける。戒円是を見て走り立ちて、あたりを見れども打つべき杖なし。末座を見れば、檪を打ち切り打ち切りくべたる燃えさしを追つ取り、炭櫃押しにじりて、「一定か和法師」とて走り懸かる。弁慶しきりに腹を立て、以て開いてちやうど打つ。戒円走り違ひてむずと打つ。弁慶、がしと合はせて、潛り入りて、弓手の腕を差しのべ、かうを掴んでむずと引き寄せ、右手の腕を以て戒円が股を掴みそへて、目より高く引つさげて、講堂の大庭の方へ提げもて行く。衆徒是を見て、「修行者御免候へ。それは地体酒狂ひするものにて候ふぞ」と申しければ、弁慶見苦しく見えさせ給ふものかな。日頃の約束には修行者の酒狂ひは大衆鎮め、衆徒の酒狂ひをば修行者鎮めよとの御約束と承りしかば、命をば殺すまじ」と言うて、一振振つて「えいや」と言ひて、講堂の軒の高さ一丈一尺有りける上に、投げ上げたれば、一たまりもたまらず、ころころと転び落ち、雨落ちの石たたきにどうど落つ。取つて押ヘて、骨は砕けよ、脛は拉げよと踏んだり。弓手の小腕踏み折り、馬手の肋骨二枚損ず。中々言ふに甲斐なしとて、言ふばかりもなし。戒円が持ちたる燃えさしを、さらば捨てもせで、持ちながら投げ上げられて、講堂の軒に打ち挟む。折節風は谷より吹き上げたり。講堂の軒に吹き付けて、焼け上がりたり。九間の講堂七間の廊下多宝の塔、文殊堂、五重の塔に吹き付けて、一宇も残さず、性空上人の御影堂、是を始めて、堂塔社々の数、五十四ケ所ぞ焼けたりける。武蔵坊是を見て、現在仏法の仇となるべし、咎をだに犯しつる上は、まして大衆の坊々は助け置きて、何にかせんと思ひて、西坂本に走り下り、松明に火を付けて、軒を並べたる坊々に一々に火をぞ付けたりける。谷より峰へぞ焼けて行く。山を切りて懸造にしたる坊なれば、何かは一つも残らず、残るものとては礎のみ残りつつ、廿一日の巳の時ばかりに武蔵坊は書写を出でて、京へぞ行きける。其の日一日歩み、其の夜も歩みて、二十二日の朝に京へぞ着きにける。其の日は都大雨大風吹きて、人の行来も無かりけるに、弁慶装束をぞしたりける、長直垂に袴をば赤きをぞ著たりける。如何にしてか上りけん、さ夜更け、人静まりて後、院の御所の築地に上り、手を拡げて火をともし、大の声にてわつと喚きて、東の方へぞ走りける。又取つて返し、門の上につい立ちて、恐ろしげなる声にて、「あらあさまし。如何なる不思議にてか候ふやらん、性空上人の手づから自ら建て給ひし書写の山、昨日の朝、大衆と修行者との口論によつて、堂塔五十四ヶ所、三百坊一時に煙となりぬ」と呼ばはつて、掻き消す様に失せにけり。院の御所には是を聞召し、何故、書写は焼けたると、早馬を立てて御尋ね有り。「誠に焼けたらば学頭を始めとして衆徒を追ひ出だせ」との院宣なり。寺中の下部向ひて見れば、一宇も残らず焼けければ、全く時を移さず、参りて陳じ申さんとて、馳せ上り、院の御所に参じて陳じ申しければ、「さらば罪科の者を申せ」と仰せ下さる。「修行者には武蔵坊、衆徒には戒円」と申す。公卿是を聞き給ひて、「さては山門なりし鬼若が事ごさんなれば、是が悪事は山上の大事にならぬ先に、鎮めたらんこそ君ならめ。戒円が悪事是非なし。詮ずる所戒円を召せ。戒円こそ仏法王法の怨敵なれ。しやつを取りて、糾問せよ」とて、摂津国の住人昆陽野太郎承つて、百騎の勢にて馳せ向ひ、戒円を召して、院の御所に参る。御前に召されて、「汝一人が計らひか、与したる者の有りけるか」と尋ねらる。糾問厳しかりければ、とても生きて帰らん事不定なれば、日頃憎かりしものを入ればやと思ひて、与したる衆徒とては十一人までぞ白状に入れたりける。又昆陽野太郎馳せ向ふ所に、かねて聞こえければ、先立て十一人参り向ふ。されども白状に載せたりとて召し置かる。陳ずるに及ばず、戒円は遂に責め殺さる。死しける時も「我一人の咎ならぬに、残りを失はれずは、死するとも悪霊とならん」とぞ言ひける。かく言はざるだにも有るべし。さらば斬れとて、十一人も皆斬られにけり。武蔵坊都に有りけるが、是を聞きて、「かかる心地良き事こそ無けれ。居ながら敵思ふ様にあたりたる事こそ無けれ。弁慶が悪事は朝の御祈りになりけり」とて、いとど悪事をぞしたりける。