鬼若僧正の憎み給へる由を聞きて、頼みたる師の御坊にも斯様に思はれんに、山に有りても詮なし。目にも見えざらん方へ行かんと思ひ立つて出でけるが、斯くては何処にても山門の鬼若とぞ言はれんずらん。学問に不足なし。法師になりてこそ行かめと思ひて、髪剃り、衣を取り添へて、美作の治部卿と言ふ者の湯殿に走り入りて、盥の水にて手づから髪を洗ひ、所々を自剃にしたりける。彼の水に影を写して見れば、頭は円くぞ見えける。斯くては叶はじとて、戒名をば何とか言はましと思ひけるが、昔此の山に悪を好む者有り。西塔の武蔵坊とぞ申しける。廿一にて悪をし初めて、六十一にて死にけるが、旦座合掌して往生を遂げたると聞く。我等も名を継いで呼ばれたらば、剛になる事も有らめ。西塔の武蔵坊と言ふべし。実名は父の別当は弁せうと名乗り、其の師匠はくわん慶なれば、弁せうの弁とくわん慶の慶とを取つて、弁慶とぞ名乗りける。昨日までは鬼若、今日は何時しか武蔵坊弁慶とぞ申しける。山上を出でて、小原の別所と申す所に山法師の住み荒らしたる坊に誰留むると無けれども、暫くは尊とげにてぞ居たりける。されども児なりし時だにも眉目悪く、心異相なれば、人もてなさず、まして訪ひ来る人も無ければ、是をも幾程無くあくがれ出でて、諸国修行にとて又出でて、津の国河尻に下り、難波潟を眺めて、兵庫の嶋など言ふ所を通りて、明石の浦より船に乗つて、阿波の国に著きて、焼山、つるが峰を拝みて、讚岐の志度の道場、伊予の菅生に出でて、土佐の幡多まで拝みけり。かくて正月も末になりければ、又阿波国へ帰りける。