義経記 - 13 義経秀衡にはじめて対面の事

吉次急ぎ秀衡に此の由申しければ、折節風の心地し臥したりけるが、嫡子本吉の冠者泰衡、二男泉の冠者忠衡を呼びて申しけるは、「さればこそ過ぎにし頃黄なる鳩来たつて秀衡が家の上に飛び入ると夢に見たりしかば、如何様源氏の音信承らんとするやらむと思ひつるに、頭殿の君達御下り有るこそ嬉しけれ。掻き起こせ」とて、人の肩を押へて、烏帽子取りて引つこみ、直垂取つて打ち掛け申しけるは、「此の殿は幼くおはするとも、狂言綺語の戯れも、仁義礼智信も正しくぞおはすらん。此の程の労に家のうちも見苦しかるらん。庭の草払はせよ。すけひら、もとひら早々出で立ちて御迎に参れ。事々しからぬ様にて参れ」と申されければ、畏まつて承り、其の勢三百五十余騎栗原寺へぞ馳せ参る。御曹司の御目にかかる。栗原の大衆五十人送り参らする。秀衡申しけるは、「是まで遥々御入候ふ事返す返す畏まり入り存じ候ふ。両国を手に握りて候へども思ふ様にも振舞はれず候へ共、今は何の憚か候ふべき」とて、泰衡を呼びて申しけるは、「両国の大名三百六十人を択りて、日々垸飯を参らせて、君を守護し奉れ。御引出物には十八万騎持ちて候ふ郎等を十万をば二人の子供に賜はり候へ。今八万をば君に奉る。君御事はさて置きぬ。吉次が御供申さでは、争か御下り候ふべき。秀衡を秀衡と思はん者は吉次に引手物せよ」と申しければ、嫡子泰衡白皮百枚、鷲の羽百尻、良き馬三疋、白鞍置きて取らせける。二男忠衡も是に劣らず、引出物しけり。其の外家の子郎等我劣らじと取らせけり。秀衡是を見て、「獣の皮も鷲の尾も、今はよも不足有らじ。御辺の好む物なれば」とて、貝摺りたる唐櫃の蓋に砂金一蓋入れて取らせけり。吉次此の君の御供し、道々の命生きたるのみならず、徳付きてかかる事にも逢ひけるものよ。多聞の御利生とぞ思ひける。かくて商ひせずとも、元手儲けたり。不足有らじと思ひ、京へ急ぎ上りけり。かくて今年も暮れければ、御年十七にぞなり給ふ。さても年月を送り給へども、秀衡も申す旨もなし。御曹司も「如何有るべき」とも仰せ出だされず。中々都にだにも有るならば、学問をもし、見たき事をも見るべきに、かくても叶ふまじ、都へ上らばやとぞ思ひける。泰衡に言ふとも叶ふまじ、知らせずして行かばやと思食し、仮初の歩きの様にて、京へ上らせ給ふとて、伊勢の三郎が許におはして、しばらく休らひて、東山道にかかり、木曾の冠者の許におはして、謀反の次第仰せあはされて都に上り、片ほとりの山科に知る人有りける所に渡らせ給ひて、京の機嫌をぞ窺ひける。