日も既に暮方になりぬ。賎が庵は軒を並べ有りけれ共、一夜を明かし給ふべき所もなし。引き入りてま屋一つ有り。情有る住家と覚しくて竹の透垣に槙の板戸を立てたり。池を掘り、汀に群れ居る鳥を見給ふに付けても、情有りて御覧ずれば、庭に打ち入り縁の際に寄り給ひて、「御内に物申さん」と仰せければ、十二三ばかりなる端者出でて、「何事」と申しければ、「此の家には汝より外に大人しき者は無きか。人有らば出でよ。言ふべき事有り」とて返されければ、主に此の様を語る。やや有りて年頃十八九ばかりなる女の童の優なるが、一間の障子の陰より「何事候ふぞ」と申しければ、「京の者にて候ふが、当国の多胡と申す所へ人を尋ねて下り候ふが、此の辺の案内知らず候ふ。日ははや暮れぬ。一夜の宿を貸させ給へ」と仰せられければ、女申しけるは、「易き程の事にて候へ共、主にて候ふ者歩きて候ふが、今宵夜更けてこそ来たり候はんずれ。人に違ひて情無き者にて候ふ。如何なる事をか申し候はんずらん。それこそ御為いたはしく候へ。如何すべき。余の方へも御入候へかし」と申しければ、「殿の入らせ給ひて無念の事候はば、其の時こそ虎臥す野辺罷り出で候はめ」と仰せられければ、女思ひ乱したり。御曹司「今宵一夜は只貸させ給へ。色をも香をも知る人ぞ知る」とて、遠侍へするりと入りてぞおはしける。女力及ばず、内に入りて大人しき人に「如何にせんずるぞ」と言ひければ、「一河の流れを汲むも皆是他生の契なり。何か苦しく候ふべき。遠侍には叶ふまじ。二間所へ入れ奉り給へとて」、様々の菓子共取り出だし、御酒勧め奉れども、少しも聞き入れ給はず。女申しけるは、「此の家の主は世に聞こえたるえせ者にて候ふ。構へて構へて見えさせ給ふな。御燈火を消し、障子を引き立てて御休み候へ。八声の鳥も鳴き候はば、御志の方へ急ぎ急ぎ御出で候へ」と申しければ、「承り候ひぬ」と仰せける。如何なる男を持ちて是程には怖づらん。汝が男に越えたる陵が家にだに火を懸け、散々に焼き払ひて、是まで来たりつるぞかし。況てや言はん、女の情有りて止めたらんに、男来たりて、憎げなる事言はば、何時の為に持ちたる太刀ぞ。是ごさんなれと思召し、太刀抜きかけて、膝の下に敷き、直垂の袖を顔にかけて、虚寝入してぞ待ち給ふ。立て給へと申しつる障子をば殊に広く開け、消し給へと申しつる燈をばいとど高く掻き立てて、夜の更くるに従つて、今や今やと待ち給ふ。子の刻ばかりになりぬれば、主の男帰り、槙の板戸を押し開き、内へ通るを見給へば、年廿四五ばかりなる男の、葦の落葉付けたる浅黄の直垂に萌黄威の腹巻に太刀帯いて、大の手鉾杖につき、劣らぬ若党四五人、猪の目彫りたる鉞、焼刃の薙鎌、長刀、乳切木、材棒、手々に取り持ちて、只今事に会うたる気色なり。四天王の如くにして出で来たり、女の身にて怖ぢつるも理かな。や、彼奴は雄猛なるものかなとぞ御覧じける。彼の男二間に人有りと見て、沓脱に登り上がりける。大の眼見開きて、太刀取り直し、「是へ」とぞ仰せられける。男は怪しからぬ人かなと思ひて返事も申さず、障子引き立てて、足早に内に入る。如何様にも女に逢うて憎げなる事言はれんずらんと思召して、壁に耳を当てて聞き給へば、「や御前御前」と押し驚かせば、暫しは音もせず。遙かにして寝覚めたる風情して、「如何に」と言ふ。「二間に寝たる人は誰」と言ふ。「我も知らぬ人なり」とぞ申しける。されども「知られず、知らぬ人をば男の無き跡に誰が計らひに置きたるぞ」と世に悪しげに申しければ、あは事出で来たるぞと聞召しける程に、女申しけるは、「知られず知らぬ人なれども「日は暮れぬ。行方は遠し」と打ち佗び給ひつれども、人のおはしまさぬ跡に泊め参らせては、御言葉の末も
知り難ければ、「叶はじ」と申しつれ共、「色をも香をも知る人ぞ知る」と仰せられつる御言葉に恥ぢて今宵の宿を参らせつるなり。如何なる事有りとも今宵ばかりは何か苦しかるべき」と申しければ、男、「さてもさても和御前をば志賀の都の梟、心は東の奥のものにこそ思ひつるに、「色をも香をも知る人ぞ知る」と仰せられける言葉の末を弁へて、貸しぬるこそ優しけれ。何事有りとも苦しかるまじきぞ。今宵一夜は明かさせ参らせよ」とぞ申しける。御曹司、あはれ然るべき仏神の御恵みかな。憎げなる事をだにも言はば、ゆゆしき大事は出で来んと思召しけるに、主人言ひけるは、「何様にも此の殿は只人にてはなし。近くは三日、遠くは七日の内に事に逢うたる人にてぞ有るらん。我も人も世になしものの、珍事中夭に逢ふ事常の事なり。御酒を申さばや」とて、様々の菓子共調へて、端者に瓶子抱かせて、女先に立てて、二間に参り、御酒勧め奉れども、敢て聞召し給はず。主申しけるは、「御酒聞召し候へ。如何様御用心と覚え候ふ。姿こそ賎しの民にて候ふとも、此の身が候はんずる程は御宿直仕り候ふべし。人は無きか」と呼びければ、四天の如くなる男五六人出で来たる。「御客人を設け奉るぞ。御用心と覚え候ふ。今宵は寝られ候ふな。御宿直仕れ」と言ひければ、「承り候ふ」と言ひて、蟇目の音、弓の絃押し張りなんどして御宿直仕る。我が身も出居の蔀上げて、燈台二所に立てて腹巻取つて側に置き、弓押し張り、矢束解いて押し寛げて、太刀刀取りて膝の下に置き、あたりに犬吠え、風の木末を鳴らすをも、「誰、あれ斬れ」とぞ申しける。其の夜は寝もせで明かしける。御曹司、あはれ彼奴は雄猛者かなと思召しけり。明くれば御立有らんとし給ふを、様々に止め奉り、仮初の様なりつれども、此処に二三日留まり給ひけり。主の男申しけるは、「抑都にては如何なる人にて渡らせ給ひ候ふぞ。我等も知る人も候はねば、自然の時は尋ね参るべし。今一両日御逗留候へかし」と申す。「東山道へかからせ給ひ候はば碓氷の峠海道にかからば足柄まで送り参らすべし」と申すを都に無からん
もの故に、尋ねられんと言はんも詮なし。此のものを見るに二心なんどはよも有らじ、知らせばやと思召し、「是は奥州の方へ下る者なり。平治の乱に亡びし下野の左馬頭が末の子牛若とて、鞍馬に学問して候ひしが、今男になりて、左馬九郎義経と申す也。奥州へ秀衡を頼みて下り候ふ。今自然として知る人になり奉らめ」と仰せけるを、聞きも敢へず、つと御前に参りて、御袂に取り付き、はらはらと泣き、「あら無慙や、問ひ奉らずは、争でか知り奉るべきぞ。我々が為には重代の君にて渡らせ給ひけるものをや。かく申せば、如何なる者ぞと思すらん。親にて候ひし者は、伊勢の国二見の者にて候ふ。伊勢のかんらひ義連と申して、大神宮の神主にて候ひけるが、清水へ詣で下向しける、九条の上人と申すに乗合して、是を罪科にて上野国なりしまと申す所に流され参らせて、年月を送り候ひけるに、故郷忘れんが為に、妻子を儲けて候ひけるが、懐妊して七月になり候ふに、かんらひ遂に御赦免も無くて、此の所にて失ひ候ひぬ。其の後産して候ふを、母にて候ふ者、胎内に宿りながら、父に別れて果報つたなきものなりとて捨て置き候ふを、母方の伯父不便に思ひ、取り上げて育て成人して、十三と候ふに元服せよと申し候ひしに、「我が父と言ふ者如何なる人にて有りけるぞや」と申して候へば、母涙に咽び、とかくの返事も申さず。「汝が父は伊勢国二見の浦の者とかや。遠国の人にて有りしが、伊勢のかんらひ義連と言ひしなり。左馬頭殿の御不便にせられ参らせたりけるが、思ひの外の事有りて、此の国に有りし時、汝を妊して、七月と言ひしに、遂に空しく成りしなり」と申ししかば、父は伊勢のかんらひと言ひければ、我をば伊勢の三郎と申す。父が義連と名告れば、我は義盛と名告り候ふ。此の年頃平家の世になり、源氏は皆亡び果てて、偶々残り止り給ひしも押し篭められ、散り散りに渡らせ給ふと、承りし程に、便りも知らず、まして尋ねて参る事もなし。心に物を思ひて候ひつるに、今君を見参らせ、御目にかかり申す事三世の契と存じながら、八幡大菩薩の御引合とこそ存じ候へ」とて、来し方行末の物語互に申し開き、只仮初の様に有りしかども、其の時御目にかかり始めて、又心無くして、奥州に御供して、治承四年源平の乱出で来しかば、御身に添ふ影の如くにて、鎌倉殿御仲不快にならせ給ひし時までも、奥州に御供して、名を後の世に上げたりし、伊勢の三郎義盛とは、其の時の宿の主なり。義盛内に入りて、女房に向ひ、「如何なる人ぞと思ひつるに、我が為には相伝の御主にて渡らせ給ひける物を、されば御伴して奥州へ下るべし。和御前は是にて明年の春の頃を待ち給へ。もし其の頃も上らずは、はじめて人に見え給へ。見え給ふとも義盛が事忘れ給ふな」と申しければ、女泣くより外の事ぞ無き。「仮初の旅だにも在りきの跡は恋しきに、飽かで別るる面影を何時の世にかは忘るべき」と歎きても甲斐ぞ無き。剛の者の癖なれば、一筋に思ひきつて、やがて御供してぞ下りける。下野の室の八嶋をよそに見て、宇都宮の大明神を伏し拝み行方の原に差しかかり、実方の中将の安達の野辺の白真弓、押し張り素引し肩にかけ、馴れぬ程は何おそれん、馴れての後はおそるぞ悔しきと詠めけん、安達の野辺を見て過ぎ、浅香の沼の菖蒲草、影さへ見ゆる浅香山、着つつ馴れにし忍ぶの里の摺衣、など申しける名所名所を見給ひて、伊達の郡阿津賀志の中山越え給ひて、まだ曙の事なるに、道行き通るを聞き給ひて、いさ追ひ著いて物問はん。此の山は当国の名山にて有るなるにとて、追つ著いて見給へば、御先に立ちたる吉次にてぞ有りける。商人のならひにて、此処彼処にて日を送りける程に、九日先に発ち参らせたるが、今追ひ著き給ひける。吉次御曹司を見付け参らせて、世に嬉しくぞ思ひける。御曹司も御覧じて、嬉しくぞ思召す。「陵が事は如何に」と申しければ、「頼まれず候ふ間、家に火をかけて散々に焼き払ひ、是まで来たるなり」と仰せられければ、吉次今の心地して、恐ろしくぞ思ひける。「御供の人は如何なる人ぞ」と申せば、「上野の足柄のものぞ」と仰せられける。「今は御供要るまじ。君御著き候ひて後、尋ねて下り給へ。後に妻女の嘆き給ふべきも痛はしくこそ候へ。自然の事候はん時こそ御伴候はめ」とてやうやうに止めければ、伊勢の三郎をば上野へぞ返されける。それよりして治承+四年を
待たれけるこそ久しけれ。かくて夜を日についで下り給ふ程に武隈の松、阿武隈と申す名所名所過ぎて宮城野の原、躑躅の岡を眺めて、千賀の塩竃へ詣でし給ふ。あたりの松、籬の島を見て、見仏上人の旧蹟松島を拝ませ給ひて、紫の大明神の御前にて祈誓申させ給ひて、姉歯の松を見て、栗原にも著き給ふ。吉次は栗原の別当の坊に入れ奉りて、我が身は平泉へぞ下りける。