是より阿濃禅師の御許へ御使ひ参らせ給ひける。禅師大きに悦び給ひて、御曹司を入れ奉り、互に御目を見合はせて、過ぎにし方の事共語り続け給ひて、御涙に咽び給ひける。「不思議の御事かな。離れし時は二歳になり給ふ。此の日頃は何処におはするとも知り奉らず。是程に成人してかかる大事を思ひ立ち給ふ嬉しさよ。我もともに打ち出で、一所にてともかくもなりたく候へども、偶々釈尊の教法を学んで、師匠の閑室に入りしより此のかた、三衣を墨に染めぬれば、甲冑をよろひ、弓箭を帯する事如何にぞやと思へば、打ち連れ奉らず。且は頭殿の御菩提をも誰かは弔ひ奉らん。且は一門の人々の祈をこそ仕り候はんずれ。一ケ月をだにも添ひ奉らず、離れ奉らん事こそ悲しけれ。兵衛佐殿も伊豆の北条におはしませ共、警固のもの共きびしく守護し奉ると申せば、文をだに参らせず。近き所を頼みにて音信もなし。御身とても此の度見参し給はん事不定なれば、文書き置き給へ。其の様を申すべし」と仰せられければ、文書きて跡に留め置き、其の日は伊豆の国府に著き給ふ。夜もすがら祈念申されけるは、「南無三島大明神、走湯権現、吉祥駒形、願はくは義経を三十万騎の大将軍となし給へ。さらぬ外は此の山より西へ越えさせ給ふな」と、精誠をつくし、祈誓し給ひけるこそ、十六のさかりには恐ろしき。足柄の宿打ち過ぎて、武蔵野の堀兼の井を外処に見て、在五中将の眺めける深き好を思ひて、下総国庄高野と言ふ所に著き給ふ。日数経るに従ひて、都は遠く、東は近くなる儘に、其の夜は都の事思召し出だされける。宿の主を召して、「是は何処の国ぞ」と御問ひ有りければ、「下野国」と申しける。「此の所は郡か庄か」「下野の庄」とぞ申しける。「此の庄の領主は誰と言ふぞ」。「少納言信西と申しし人の母方の伯父、陵介と申す人の嫡子、陵の兵衛」とぞ申しける。