抑都近き所なれば、人目もつつましくて、女房共の遙かの末座に遮那王殿を直しける。恐れ入りてぞ覚えける。酒三献過ぎて、長者吉次が袖に取り付きて申しけるは、「抑御辺は一年に一度、二年に一度此の道を通らぬ事なし。されども是程美しき子具し奉りたる事、是ぞ初めなる。御身の為には親しき人か他人か」とぞ問ひける。「親しくはなし。又他人にてもなし」とぞ申しける。長者はらはらと涙を流して、「あはれなる事共かな。何しに生きて初めて憂き事を見るらん。只昔の御事今の心地して覚ゆるぞや。此の殿の立居振舞身様の頭殿の二男朝長殿に少しも違ひ給はぬものかな。言葉の末を以ても具し奉りたるかや。保元、平治より此のかた、源氏の子孫、此処や彼処に打ち篭められておはするぞかし。成人して思ひ立ち給ふ事有らば、よくよくこしらへ奉りて渡し参らせ給へ。壁に耳、岩に口と言ふ事有り。紅は園生に植ゑても隠れなし」と申しければ、吉次「何それにては候はず。身が親しき者にて候ふ」と申しけれども、長者「人は何とも言はば言へ」とて、座敷を立ちて、少き人の袖を引き、上座敷に直し奉り、酒すすめて夜更けければ、我が方へぞ入れ奉る。吉次も酒に酔ひて臥しにけり。其の夜鏡の宿に思はざる事こそ有りけれ。其の年は世の中飢饉なりければ、出羽国に聞こえける窃盗の大将、由利太郎と申す者、越後国に名を得たる頚城郡の住人藤沢入道と申す者二人語らひ、信濃国に越えて、佐久の権守の子息太郎、遠江国に蒲与一、駿河国に興津十郎、上野国に豊岡源八以下の者共、何れも聞こゆる盗人、宗徒の者二十五人、其の勢七十人連れて、「東海道は衰微す。少しよからん山家山家に至り、下種徳人有らば追ひ落して、若党共に興有る酒を飲ませて都に上り、夏過ぎ秋風立たば、北国にかかり国へ下らん」とて、宿々山家山家に押し入り、押し取りして上りける。其の夜しも鏡の宿に長者の軒を並べて宿しける。由利太郎藤沢に申しけるは、「都に聞こえたる吉次と言ふ黄金商人奥州へ下るとて、おほくの売物持ち、今宵長者の許に宿りたり。如何すべき」と言ひければ、藤沢入道、「順風に帆を上げ、棹さし押し寄せて、しやつが商物取りて若党共に酒飲ませて通れ」とぞ出で立ちける。究強の足軽共五六人腹巻著せて、油さしたる車松明五六台に火を付けて、天に差し上げければ、外はくらけれども、内は日中の様に有りけり。由利太郎と藤沢入道とは大将として、其の勢八人連れて出で立ち、由利は唐萌黄の直垂に萌黄威の腹巻著て、折烏帽子に懸して、三尺+五寸の太刀はきて出づる。藤沢褐の直垂に黒革威の鎧著て、兜の緒を締め、黒塗の太刀に熊の革の尻鞘入れ、大長刀杖につき、夜半ばかりに長者の許へ討ち入りたり。つと入りて見れども人もなし。中の間に入りて見れども人もなし。こは如何なる事ぞとて簾中深く切り入りて、障子五六間切り倒す。吉次是に驚き、がばと起きて見れば、鬼王の如くにて出で来たる。是は信高が財宝に目をかけて出で来るを知らず、源氏を具し奉り、奥州へ下る事、六波羅へ聞こえて討手向ひたると心得て、取る物も取り敢へず、かいふいてぞ逃げにける。遮那王殿是を見給ひて、すべて人の頼むまじきものは次の者にて有りけるぞや。形の如くも侍ならば、かくは有るまじき物を、とてもかくても都を出でし日よりして命をば宝故に奉る。屍をば鏡の宿にさらすべしとて、大口の上に腹巻とつて引き着て、太刀とり脇にはさみ、唐綾の小袖取りて打ちかづき、一間なる障子の中をするりと出で、屏風一よろひに引きたたみ、前に押し寄する。八人の盗人を今やと待ち給ふ。「吉次奴に目ばし放すな」とて喚いてかかる。屏風のかげに人有りとは知らで、松明ふつて差し上げ見れば、いつくしきとも斜ならず。南都山門に聞こえたる児鞍馬を出で給へる事なれば、きはめて色白く、鉄漿黒に眉細くつくりて、衣打ちかづき給ひけるを見れば、松浦佐用姫領巾振る野辺に年を経し、寝乱れて見ゆる黛の、鴬の羽風に乱れぬべくぞ見え給ふ。玄宗皇帝の代なりせば楊貴妃とも謂ひつべし。漢の武帝の時ならば李夫人かとも疑ふべし。傾城と心得て、屏風に押し纏ひてぞ通りける。人も無き様に思はれて、生きては何の益有るべき。末の世に如何しければ、義朝の子牛若と言ふもの謀反をおこし、奥州へ下るとて、鏡の宿にて強盗に会ひて、甲斐無き命生きて、今また忝くも太政大臣に心を懸けたりなどと言はれん事こそ悲しけれ。とてもかくてものがるまじと思召して、太刀を抜き、多勢の中へ走り入り給ふ。八人は左右へざつと散る。由利太郎是を見て、「女かと思ひたれば、世に剛なる人にて有りけるものを」とて、散々に斬りあふ。一太刀にと思ひて、以て開いてむずとうつ。大の男の太刀の寸は延びたり。天井の縁に太刀打ち貫き、引きかぬる所を小太刀を以てむずと受け止め、弓手の腕に袖を添へてふつと打ち落し、返す太刀に首を打ち落す。藤沢入道は是を見て、「ああ切つたり。そこを引くな」とて大長刀打ち振りて走りかかる。是に懸かり合ひて散々に斬り合ひ給ふ。藤沢入道長刀を茎長に取りてするりと差し出だす。走り懸かり切り給ふ。太刀は聞こゆる宝物なりければ、長刀の柄づんど切りてぞ落されける。やがて太刀抜き合はせけるを抜きも果てさせず、切り付け給へば、兜の真向しや面かけて切り付け給ひけり。吉次はものの陰にて是を見て、恐ろしき殿の振舞かな。如何に我を穢しと思召すらんと思ひ、臥したりける帳台へつつと入り、腹巻取つて著、髻解き乱し、太刀を抜き、敵の棄てたる松明打ち振り、大庭に走り出でて、遮那王殿と一つになりて、追うつ捲くつつ散々に戦ひ、究竟の者共五六人やにはに切り給ふ。二人は手負ひて北へ行く。一人追ひにがす。残る盗人残らず落ち失せにけり。明くれば宿の東のはづれに五人が首をかけ、札を書きてぞ添へられける。「音にも聞くらん、目にも見よ。出羽国の住人、由利太郎、越後国の住人、藤沢入道以下の首五人斬りて通る者、何者とか思ふらん。黄金商人三条の吉次が為には縁有り。是を十六にての初業よ。委しき旨を聞きたくば、鞍馬の東光坊の許にて聞け、承安+四年二月四日」とぞ書きて立てられける。さてこそ後には源氏の門出しすましたりとぞ舌を巻いて怖ぢ合ひける。其の日鏡を発ち給ひけり。吉次はいとどかしづき奉りてぞ下りける。小野の摺針打ち過ぎて、番場、醒井過ぎければ、今日も程無く行き暮れて、美濃国青墓の宿にぞ著き給ふ。是は義朝浅からず思ひ給ひける長者が跡なり。兄の中宮大夫の墓所を尋ね給ひて、御出で有り。夜とともに法華経読誦して、明くれば率都婆を作り、自ら梵字を書きて、供養してぞ通られける。児安の森を外処に見て、久世河を打ち渡り、墨俣川を曙に眺めて通りつつ、今日も三日に成りければ、尾張国熱田の宮に著き給ひけり。