義経記 - 05 牛若貴船詣の事

聖門に逢ひて給ひて後は、学問の事は跡形なく忘れはてて、明暮謀反の事をのみぞ思召しける。謀反起す程ならば、早業をせでは叶ふまじ。まづ早業を習はんとて、此の坊は諸人の寄合所なり。如何に叶ひ難きとて、鞍馬の奥に僧正が谷と言ふ所有り。昔は如何なる人が崇め奉りけん、貴船の明神とて霊験殊勝に渡らせ給ひければ、智恵有る上人も行ひ給ひけり。鈴の声も怠らず。神主も有りけるが、御神楽の鼓の音も絶えず、あらたに渡らせ給ひしかども、世末にならば、仏の方便も神の験徳も劣らせ給ひて、人住み荒し、偏へに天狗の住家となりて、夕日西に傾けば、物怪喚き叫ぶ。されば参りよる人をも取り悩ます間、参篭する人もなかりけり。されども牛若かかる所の有る由を聞き給ひ、昼は学問をし給ふ体にもてなし、夜は日頃一所にてともかくもなり参らせんと申しつる大衆にも知らせずして、別当の御護りに参らせたる敷妙と言ふ腹巻に黄金作りの太刀帯きて、只一人貴船の明神に参り給ひ、念誦申させ給ひけるは、「南無大慈大悲の明神、八幡大菩薩」と掌を合せて、源氏を守らせ給へ。宿願誠に成就あらば、玉の御宝殿を造り、千町の所領を寄進し奉らん」と祈誓して、正面より未申にむかひて立ち給ふ。四方の草木をば平家の一類と名づけ、大木二本有りけるを一本をば清盛と名づけ、太刀を抜きて、散々に切り、懐より毬杖の玉の様なる物を取り出だし、木の枝にかけて、一つをば重盛が首と名づけ、一つをば清盛が首とを懸けられける。かくて暁にもなれば、我が方に帰り、衣引かづきて臥し給ふ。人是を知らず。和泉と申す法師の御介錯しけるが、此の御有様只事にはあらじと思ひて、目を放さず、ある夜御跡を慕ひて隠れて叢の蔭に忍び居て見ければ、斯様に振舞ひ給ふ間、急ぎ鞍馬に帰りて、東光坊に此の由申しければ、阿闍梨大きに驚き、良智坊の阿闍梨に告げ、寺に触れて、「牛若殿の御髪剃り奉れ」とぞ申されける。良智坊此の事を聞き給ひて、「幼き人も様にこそよれ。容顔世に越えておはすれば、今年の受戒いたはしくこそおはすれ。明年の春の頃剃り参らさせ給へ」と申しければ、「誰も御名残はさこそ思ひ候へ共、斯様に御心不用になりて御わたり候へば、我が為、御身の為然るべからず候ふ。只剃り奉れ」と宣ひければ、牛若殿何ともあれ、寄りて剃らんとする者をば、突かんずるものをと、刀の柄に手を掛けておはしましければ、左右なく寄りて剃るべし共見えず。覚日坊の律師申されけるは、「是は諸人の寄合所にて静かならぬ間、学問も御心に入らず候へば、それがしが所は傍にて候へば、御心静にも御学問候へかし」と申されければ、東光坊もさすがにいたはしく思はれけん、さらばとて覚日坊へ入れ奉り給ひけり、御名をば変へられて遮那王殿とぞ申しける。それより後には貴船の詣も止まりぬ。日々に多聞に入堂して、謀反の事をぞ祈られける。