此処に憂き事ぞ出で来たる。天に口なし、人を以て言はせよと誰披露するとしも無けれ共、判官山伏になりて、其の勢十余人にて、都を出で給ふと聞こえしかば、大津の領主山科左衛門、園城寺の法師を語らひて、城郭を構へて相待つ。然れども判官は、大津の渚に大なる家有り。是は塩津、海津、山田、矢橋、粟津、松本に聞こえたる商人の宗徒の者、大津次郎と申す者の家なり。弁慶宿を借らせけるは、「羽黒山伏の熊野に年籠りして下向し候ふ。宿を賜び候へ」と借らせたりければ、宿伝ふ習ひなれば、相違無く宿を参らせたり。さよ打ち更けて、懺法阿弥陀経を同音にぞ誦み給ひける。是ぞ勤めの始めなる。大津二郎は左衛門の召しにて城に有り。大津二郎が女、物越に見奉りて、あら美しの山伏児や、遠国の道者とは宣へども、衣裳の美しさは、如何にも只人には有らず、但し判官殿の山伏になりて下り給ふなるに、山伏大勢留めて、城に聞こえては身の為も大事なり。次郎を呼びて此の事を知らせて、判官にてましまさば、城まで申さずとも、私にも討つても、搦めても、鎌倉殿の見参に入れて、勲功に与りたらば、然るべきと思ひければ、城へ使を遣はして、男を呼びよせて、一間なる所へ招き入れて言ひけるは、「時しもこそ多けれ。今夜しも我々判官殿に宿を借し参らせて候ふは、如何せんずる。御辺の親類我が兄弟を集めて搦めばや」とぞ申しける。男申しけるは、「「壁に耳、石に口」と言ふ事有り。判官殿にて御座すればとて、何か苦しかるべき。搦め参らせたればとて、勲功も有るまじ。実の山伏にて渡らせ給ふに付けては、金剛童子の恐れ有り、実に又判官殿にて御座しませばとても、忝くも鎌倉殿の御弟にてましませば恐有り。我思ひかかり奉りても、容易かるべき事ならず。かしがましかしがまし」とぞ言ひける。女是を聞きて、「地体が和男は妻子に甲斐々々しくあたるばかりを本とする男なり。女の申す事は上つ方の御耳に入らぬ事やある。城へ、いでさらば参りて申さん」とて、小袖取りて打ち被き、やがて走り出でてぞ行きける。大津次郎是を見て、彼奴を放し立てては悪しかりなんとや思ひけん、門の外に追ひ著きて、「汝、今に始めたる事か、風になびく苅萱、男に従ふ女」とて、引き伏せて、心の行く行くぞさやなみける。彼の女は極めたるえせ者なりければ、大路に倒れて喚きけるは、「大津二郎は極めたる僻事の奴にて候ふぞ。判官の方人するぞ」とぞ申しける。所の者是を聞きて申しけるは、「大津二郎が女こそ例の酔狂して、男に打たるるとて喚くは。又多くの法師の嘆きともならんや。只放し合はせて、打たせよ」とて、取りさゆる者無ければ、ふすふす打たれて臥しにけり。大津二郎は直垂取りて著て、御前に参りて、火打ち消して申しけるは、「かかる口惜しき事こそ御座候はね。女奴が物に狂ひ候ふ。是聞召され候へ。何とも御語り候へ。今夜は是にて明かさせ給ひて、明日の御難をば何として逃れさせ給ひ候ふべき。是に山科左衛門と申す人城郭を構へて判官殿を待ち申し候ふ。急ぎ御出候へ。是に小船を一艘持ちて候ふに、召され候ひて、客僧達の御中に船に心得させ給ひて候はば、急ぎ御出候へ」と申しける。弁慶申しけるは、「身に誤りたる事は候はねども、左様に所に煩ひ候はんずるには、取り置かれ候ひては、日数も延び候はんず。さ候はば暇申して」とて出で給ひければ、「船をば海津の浦に召し棄てて、疾く愛発の山を越えて、越前の国へ入らせ給へ」と申しける。判官出でさせ給へば、大津二郎も船津に参り、御船こしらへてぞ参らせける。かくて大津次郎山科左衛門の許に走り帰りて申しけるは、「海津の浦に弟にて候ふ者中夭に逢ひて、傷を蒙りて候ふと承はり候ふ間、暇申して、別の事候はずは、やがてこそ参り候はん」と申しければ、「それ程の大事は疾く疾く」とぞ申しける。大津二郎家に帰りて、太刀取つて脇に挟み、征矢掻き負ひ、弓押し張り、御船に躍り入りて、「御供申し候はん」とて、大津の浦をば押し出だす。瀬田の川風劇しくて、船に帆をぞ掛けたりける。大津二郎申しけるは、「此方は粟津大王の建て給ふ石の塔山、此処に見え候ふは唐崎の松、あれは此叡山」と申す。山王の御宝殿を顧み給へば、其の行先は竹生島と申して拝ませ奉る。風に任せて行く程に、夜半ばかりに西近江、何処とも知らぬ浦を過ぎ行けば、磯浪の聞こえければ、此処は何処ぞと問ひ給へば、「近江の国堅田の浦」とぞ申しける。北の方是を聞召して、かくぞ続け給ひける。
しぎが臥すいさはの水の積り居て堅田を波の打つぞやさしき白鬢の明神をよそにて拝み奉り、三河の入道寂照が、
鶉鳴く真野の入江の浦風に尾花浪寄る秋の夕暮
と言ひけん古き心も今こそ思ひ知られけれ。今津の浦を漕ぎ過ぎて、海津の浦にぞ著きにける。十余人の人々を上げ奉りて、大津二郎は御暇申すなり。此処に不思議なる事有り。南より北へ吹きつる風の、今又北より南へぞ吹きける。判官仰せられけるは、「彼奴は同じ次の者ながらも情ある者かな。知らせばや」と思し召し、武蔵坊を召して、「知らせて下らば、後に聞きてあはれとも思ふべし。知らせばや」と宣へば、弁慶大津次郎を招きて、「和君なれば知らするぞ。君にて渡らせ給ふなり。道にてともかくもならせ給はば、子孫の守りともせよ」とて、笈の中より、萌黄の腹巻に小覆輪の太刀取り添へてぞ賜びにける。大津二郎是を賜はつて、「何時までも御伴申したく候へ共、中々君の御為悪しく候はんずれば、暇申して、何処にも君の渡らせ御座しまさん所を承りて、参りて見参らせ候はん」とて帰りけり。下郎なれども情有りてぞ覚えける。大津二郎家に帰りて見ければ、女は一昨日の腹を据ゑ兼ねて、未だ臥してぞ有りける。大津次郎、「や御前御前」と言ひけれ共、音もせず、「あはれ、わ女は詮無き事を思ふなり。山伏留めて判官殿と号して、既に憂き目を見んとせしよな。船に乗せて海津の浦まで送り、船賃など責めたれば、法も無く物を言ひつる間、憎さにかなぐり奪りたる物を見よ」とて、太刀と腹巻とを取り出だして、がはと置きければ、寝乱れ髪の隙より、恐ろしげなる眼しばたたき、流石に今は心地取り直したる気色にて、「それも妾が徳にてこそあれ」とて、大笑みに笑みたる面を見れば、余りに疎ましくぞ有りける。男言ふとも、女の身にては如何など制しこそすべきに、思ひ立ちぬるこそ恐ろしけれ。



